多くのデザイナーが嫉妬したジャガーEタイプ 1

レースから生まれた革新車

 ジャガーEタイプは1961年3月、ジュネーブ・ショーにてセンセーショナルな誕生を果たし、現在でもなお20世紀後半を代表するスポーツカーとして君臨する名作。しかし本をただせば、50年代のル・マン24時間レースで大活躍したCタイプおよびDタイプの後継車として開発された純粋なレーシングスポーツ、「E1A」および「E2A」なる2種のプロトタイプから進化し、開発の途上から市販スポーツカーに方向転換されたという数奇な経緯を持つ。

 そのため、モノコック+サブフレームの先進的なシャシー構造や、もともと航空機メーカーのブリストル・エアクラフト・カンパニーで活躍した空力スペシャリストで、ジャガーに移籍したのちはCタイプやDタイプも手掛けたマルコム・セイヤーが担当した空力的なボディデザインも、ともにDタイプから発展したものとなっていた。

 生産モデルのボディタイプは、前任モデルに相当するXK150時代のロードスターとドロップヘッド・クーペを統合したオープンモデル。現在ではロードスターと表記されてしまうことの多いオープン2シーター(いわゆるOTS)と、特徴的な横開き式のハッチゲートを持つクーペの2本立てとされていた。

 またパワーユニットも、Dタイプの流れをくむもの。とはいえジャガーの凄いところは、XK150、あるいはマーク2サルーンなどにも採用されていた量産エンジンXK型直列6気筒DOHCユニットをパワーアップしてDタイプにも載せていたことであろう。それゆえ、実質的にはXK150の高性能版3.8S用エンジンのパワーを15psほど上乗せしてキャリーオーバーすることになったのだ。

 かくして誕生したEタイプは、Dタイプからの継続性を強調したネーミングが与えられた一方、当時から世界最大のスポーツカー市場であったアメリカでは、既に高い人気を博していたXK150の後継車であることもアピールすべく「XK-E」と呼ばれた。そして、かのエンツォ・フェラーリをして「世界一美しい」と言わしめたとされるスタイルに高度な設計、同時代のアストン・マーティンDB4の約半分に相当するリーズナブルな価格なども相まって、チャールトン・ヘストン、ディーン・マーティン、そしてスティーブ・マックィーンなどのセレブリティーたちが先を争ってXK-Eの注文書にサインするほどの爆発的人気を博すことになったのである。

 そして、Eタイプはその北米市場のリクエストに合わせるかたちで、次第にその仕様を変えていくことになる。まず64年10月にはXKエンジンを4235ccまで拡大。時を同じくして4速ギアボックスもフルシンクロ化された。66年には、ホイールベースを230mm延長してリアにオケージョナルシートを備えた2+2クーペが追加。また翌67年以降は北米当局の新しい保安基準に適合させるため、外装ではヘッドライトの位置を変更。内装にも若干の安全対策を施した過渡期的モデル、別名「シリーズ1.5る新バージョンが短期間のみ生産されることになった。

 さらに翌68年10月になると、北米マーケットが新たに要求した安全対策のため、前後のバンパーや補助灯のデザインを大きく変更し、室内にもクラッシュパッドを張り詰めた「シリーズ2」にバトンタッチ。そして3年後の71年10月には、V型12気筒5.3Lエンジンを搭載する最終進化版「シリーズ3」へと変遷を遂げてゆくのである。


フロント
ジャガーEタイプ初期型のシリーズ1のみは、やや低い位置に奥まった優雅なデザインのヘッドライトを持つ。シリーズ1.5以降は北米法規に合わせて、ヘッドライトが前進。高さも上げられてしまう。

リアランプ
小さなテールランプが、持ち前の優雅な印象をさらに高める。シリーズ2以降はバンパー位置が上がり、テールランプも大型化してバンパー下に置かれるレイアウトに改変される。

テールライン
高級スポーツカーらしく徹底して優美なテールラインだが、そのオリジナルは純レーシングスポーツカーたる「Dタイプ」そのものである。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2013年10月号 Vol.160(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Hiromi Takeda/武田公実 photo:Satoshi Kamimura/神村 聖

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