これぞブリティッシュライトウエイトスポーツカー 累計生産台数50万台以上を記録! MG-B 1

18年を生き抜いたロングセラー

 1950〜60年代に最盛期を迎えた「ブリティッシュ・ライトウエイト・スポーツカー」は、その名のとおり、英国製の小型で安価な量産スポーツカーを指した言葉。この時代、北米市場を中心に、あらゆる階層の顧客から熱烈に支持された。そして、その代表格に挙げられる傑作モデルが、MG‐Bである。55年に誕生したMG-Aの最終型1600マーク2に代わるかたちで62年に誕生して以来、80年をもって生涯を終えるまでの累計生産台数が50万台以上にも達した、大ヒット作として知られている。

 MGは、第2次世界大戦前から良質な小型量産スポーツカーを製作していたメーカー。その母体は英国民族系資本の2大メーカー、オースチンとナッフィールド・グループが合併して、52年に結成された「BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)」である。そしてMG-Bには、オースチン系とナッフィールド系双方のコンポーネンツが流用された。

 MG-A時代のラダーフレーム付きボディに代わって、BではMGミジェット/オースチン・ヒーレー・スプライトで実証されたモノコックボディを採用。サイズはMG-Aより拡大されたが、車両重量はほぼ変わらなかった。そのスタイリングには、当時BMCと関係の深かったピニンファリーナの影響も感じられるが、公式にはデザイナーの名は明かされていない。

 搭載されるエンジンはBMC・Bタイプ直列4気筒OHV。このユニットは日産オースチンA50にも搭載され、さらには初代セドリックやSP310フェアレディ用のG型ユニットにも影響を与えたことでも知られている。MG-Bでは当時としても旧式な3ベアリングのまま、MG-A時代から拡大されて1798cc、95psとされた。

 65年モデルからは、Bタイプユニットがようやく5ベアリング化されるとともに、+2リアシートとハッチゲートを備えた実用的かつスタイリッシュなクーペ「MG-B-GT」を追加、従来の2座席オープン版は「ツアラー」と呼ばれることになる。67年には、北米の安全基準を導入するとともに電装系を一新したマークⅡに進化。4速MTの変速機もフルシンクロ化され、オーバードライブや3速ATも選択可能とされた。さらに69年には内外装をリフレッシュしたマークⅢへと進化を遂げた。

 その一方で67年にはオースチン・ヒーレー3000用の直列6気筒OHVエンジンを流用したMG-C/MGC‐GT(69年に生産中止)。73年にはローバーV8エンジンを搭載したMGB‐GT・V8と、大排気量のバリエーションも追加された。

 そして74年秋には、弟分に当たるMGミジェットと同じく、アメリカの安全基準に合わせた武骨な黒塗りの樹脂製バンパー(通称ウレタンバンパー)が装着され、エンジンも排ガス対策のためにデチューンされるなどの数重なる改良・変更を経て、80年10月に生産を終えるまで、実に18年間を生き抜くことになったのだ。

フロント
端正なフロントマスクは、18年の生産期間中に3度にわたってスタイルを変更。最終的には武骨なウレタンバンパーへと進化を遂げることになる。

三角窓
時代を感じさせる三角窓は、有効なベンチレーションをもたらしてくれる。

テールランプ
英ルーカス社製のテールランプ。レンズはBMCのほかの生産モデルとも共用しており、同じMGのミジェットなどにも流用されていた。

ホイール
スタンダードでは鉄製ディスクホイール+メッキのホイールキャップの組み合わせだったが、多くはセンターロックのワイヤホイールをオプションで選択していた。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2015年10月号 Vol.171(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Hiromi Takeda/武田公実 photo:Junichi Okumura/奥村純一

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