変革期を経て89年にはレガシィが誕生 スバルデザインの起源と伝承 5

百瀬イズム、佐々木イズムの継承
加藤は95年に富士重工業を退社したが、最後の10年はスバルデザインの変革期でもあった。革新を求めてジョルジエット・ジウジアーロを招き、デザインを依頼。アルシオーネSVXを市販化した。オリジナルデザインより拡幅され、リトラクタブル式ヘッドランプも固定式になったが、美しいデザインは今も色あせていない。また、89年にはレガシィを誕生させた。久世隆一郎(後のSTI初代社長)が技術副本部長の任にあった時期は、デザイナーにとってもいい時代だった。

 話を戻そう。加藤が師と仰ぐ百瀬が技術本部長の座を退いたのは、75年だった。

89年にデビューした初代レガシィは、加藤がチーフデザイナーとして手がけた作品。そのレガシィシリーズは、92年3月に月販1万台の新記録を打ち立てた。小型乗用車でのこの記録は、富士重工業としてはまさに快挙と呼べるものだった。そして、百瀬が世に送り出したスバル360は、12年弱の間に39万2000台を販売。

 「百瀬さんはデザインに関して鋭い感覚を持ち、信頼がおける技術リーダーでした。私たちデザイナーや素人にも分かりやすくメカニズムを説明し、デザインに関しての造詣が深く、やりたいことを理解してくれました。仕事に関しては厳しいのですが、本当はとても優しい人でしたよ。佐々木さんも素晴らしい人です。『時代が経っても、いいものはいいんだ。ドイツやフランスのクルマは個性があっていいね』と、常々言っていました。


この大ヒットによって、自動車メーカーとして富士重工業の基盤ができあがった。百瀬イズム、佐々木イズムの継承者として、レガシィで新たな記録を作った加藤は「やっとこれで浮かばれました。お二人に少し恩返しができたと思いました」と語った。

百瀬さんも佐々木さんも、ことあるごとに『いいものを見なさい』と言っています。2人の性格は大きく違うんです。佐々木さんは真面目で、酒は飲まないし、タバコも吸わない。百瀬さんは酒もタバコも好きでした。でも、最高のコンビでした。佐々木さんは、百瀬さんのことを『あんなに感受性が鋭く、根が優しい人はいないよ』と言っていました」
 と、加藤は2人の天才を語る。

 百瀬イズム、佐々木イズムが、今につながるスバルのクルマ造りの原点であることは間違いない。2人のスピリットをスバルデザインの中に込めてきたのが加藤だ。3人の熱い情熱とクルマに対する深い愛情は、現在のスバルデザインの根底に受け継がれている。(文中敬称略)

掲載:ノスタルジックヒーロー 2008年 08月号 vol.128(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:KATAOKA HIDEAKI/片岡英明 photo:INOMATA RYO/猪股 良

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