スバルFF1000から初代レオーネへ スバルデザインの起源と伝承 4

初代レオーネのチーフとして。
スバル1000とバンは赤城山で走行テストを頻繁に行った。加藤は、ここの砂利道でライバル車と比較テストしたことをよく覚えている。ライバル車は砂利に足を取られ、リアが暴れた。が、FF方式のスバル1000は真っ直ぐに、きちんと走ったのである。「あまりの実力差に驚いた」と語った。


百瀬イズムの中のひとつに「手を動かして形を造ってみる」というのがある。ボール紙や金網を使って、インテリアの造形を考えているところ。

 このスバル1000バンの開発と前後して、スバル1000の水平対向エンジンを800㏄にスケールダウンしたファストバックのコンパクトカー(開発コードネーム66E)やワンボックスの開発も行っている。その当時、富士重工業はいすゞ自動車と業務提携を結んでいた。そのアライアンス商品だったようだ。発売が期待されたが、これは途中で立ち消えとなり、商品化されていない。
 軽自動車は販売台数が落ち込んでいるスバル360の後継モデルの開発に着手した。これはR‐2になって実を結んだ。スバル360は、しばらくの併売の後、生産を打ち切っている。

国内での生産終了後も、海外でノックダウン生産が続けられるなど、隠れた名車といえるFFレックス。加藤がエクステリアのチーフデザイナーだった。

 この時代の加藤の代表作は、スバルFF-1シリーズの後継となる初代レオーネのエクステリア・デザインだ。チーフデザイナーとして手腕を発揮したレオーネは、ウエッジシェイプの効いた力強いデザインで、最初に流麗な2ドアクーペが世に出た。その後、セダンと商用のバン、2ドアハードトップが仲間に加わり、ワイドバリエーションを確立している。

ザ・ニューレオーネもエクステリアのチーフデザイナーとして、手腕を発揮した。

 「スバル1000、FF‐1の後継となるレオーネの原型をデザインしました。これはコストダウンを徹底し、予算半分で造れ、と言われた作品です。バンもコストを抑えるため、上下開きのリアゲートはスバル1000バンのものを流用しました。さすがに時代遅れだったのでマイナーチェンジで一枚ゲートになりましたが、最初は上下開きです。デザインはセダンもクーペも同時でしたが、販売政策でクーペを先に出しました。サッシュレスドアは、A-5試作車のときから技術陣が温めていたアイデアです。レオーネが終わり、世界ESV(先行安全実験車)会議の後、安全車などをデザインし、80年代になってからはザ・ニューレオーネ・ツーリングワゴンなどの作品を手がけました。丸目2灯式のレオーネは、アメリカの販売店からこっぴどく叱られました。いいデザインで立派なのに、2灯式ヘッドランプはチープな感じでけしからん、と言うわけです」

 と、70年代以降の活動を語る。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2008年 08月号 vol.128(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:KATAOKA HIDEAKI/片岡英明 photo:INOMATA RYO/猪股 良

RECOMMENDED

RELATED

RANKING