1964年、自動車整備工場を始めてコツコツ貯めたお金で手に入れた1台|Mind of One Owner 新たなスタートをともにしたブルーバード1200 1

「一台のクルマに長く乗り続ける」単純なことのようで、実は難しい道のりだ。大好きなクルマを手放すことは誰もが躊躇するが、クルマの耐久性、生活環境の変化など、さまざまな要因が立ちはだかり、行く手をさえぎる。今回はそんな道のりを乗り越えてきたワンオーナーを紹介してみよう。

世界標準をうたい410ブルーバードが登場したのは1963年のこと。先代312ブルーバードの面影を残しつつも、より先鋭なボディシェイプをまとって、時代の勢いに後押しされるように誕生したのが410ブルーバードだった。

 カタログひとつとってみても、時代の移り変わりが読み取れる。イラストが多用されていたそれまでのカタログに取って代わり、410ブルーバードから女性モデルの写真を多用し、華やかな演出が目立っている。カタログにポストカードやクルマのイメージソングが収められたソノシートが付いたのは、まさにこの410ブルーバードであった。



 そんな時代の変革期、経済成長の足音が次第に大きくなった頃、オーナーの北原三次さんは小さな自動車整備工場を始めた。
 今では、雪解け水で満たされた天竜川を抱くアルプス山脈の雄大な山並みを眺める地で広々とした工場を営んでいるが、そのスタートは険しいものだったという。


フロント回りのメッキも当時のままで、その質の高さを実感できる。バンパーから立ち上がるフォグランプはデラックスに標準装備されたものだった。

 そもそも、北原さんが少年の頃、クルマは縁遠い存在であった。しかし、就職を前にして、手に職をつけなければならないと、当時、市民生活へ浸透し始めたクルマの世界へ足を踏み入れたのが始まりだった。当初は勤め人として、自動車整備工場へ入り、整備技術を身に付けていった。しかし、ほどなくこの工場を飛び出し、自身の行く先を案じることに。

 悩む北原さんを見た兄から「使われるより、自分でやらなければ」と言葉を掛けられ、北原さんの気持ちは固まる。そして、兄の手助けもあり、小さな自動車整備工場を始めることになったのだ。



トランクルームが若干下がった410ブルーバード。マイナーチェンジでテールランプも変更される。 

スレートで畑の中に建てた小さな工場。クルマ1台入ればいっぱいになってしまうような環境で、ひたすら働き続けた。助言してくれた兄も、自身の仕事を終えてから、小さな自動車整備工場へ来て、遅くまで作業を手伝ってくれたという。

 北原さんいわく「一握りの財」しかなかった状況で思い切ってスタートした工場には、高度経済成長のあおりを受けてクルマは次から次へとやってきた。


美しい輝きのホイールキャップは当時のまま。ESSO製のホワイトリボンを履く。サイズは5.60-13。ホワイトリボンタイヤを探すのに苦労した。

 がむしゃらに働く北原さんは、酒、タバコなど一切やらずに、コツコツとお金を貯めていった。勤め人として働いているときから、この性格は変わらず、工場はまだ小さかったが、この410ブルーバードを手に入れることができたという。

 「当時、クルマといえばトヨタか日産でした。私は日産が好きだったので、ブルーバードを買いました」と北原さん。
 当時のトヨタといえばカローラの66年発売以前の事で、北原さんがクルマを購入しようとした64年時点では2代目コロナがライバル車種として挙がる。そして北原さんはブルーバードを選んだのだ。


フロントグリルのセンターに取り付けられた「DATSUN」のエンブレム。ブルーにゴールドのカラーリング。後のマイナーチェンジで外されている。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2008年 08月号 vol.128(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Nostalgic Hero/編集部 photo:TAKASHIMA HIDEYOSHIi/高島秀吉

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