苦労したことって、何にもないよ。だって壊れないんだから|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方 かたわらにクーリエがある生活 1

マーガレットさん用のトヨタ・カムリに加えて、99年にフォード・エクスプロラーを購入。ガレージから追い出されたクーリエは、それ以来毎日、家の前の大きな木にきっちりと位置を合わせて止められている。姉妹車のマツダB1600はヘッドライトが丸形4灯だったが、クーリエは他のフォードトラックの外観に似せるように丸形2灯とされた。

車体が大きくて大排気量のトラックに乗ることは、アメリカ人にとって今なお自慢の種となっている。だが1970年代初頭、小型トラックの需要が拡大し始めた時、ビッグ3の1社であるフォードは、自社で製造できない小型トラックをOEMによって揃えようとした。

そしてマツダ・プロシードをベースにフォード向けに生産された小型トラックが「フォード・クーリエ」だった。当時から38年間、ずっとクーリエとともに過ごしてきた夫妻を訪ねた。


 クルマのマーケティング戦略の1つに、OEM(相手先ブランド名生産)とかバッジエンジニアリングと呼ばれる手法がある。同じクルマを、名前や内外装の一部を変えて販売する方法で、その対象は国内メーカー間でのクルマのやり取りであったり、海外メーカーへ供給するということもあった。

 1980年代の日米貿易摩擦とダンピング批判、90年代のグローバリゼーションに先立つ70年代初頭のこと。アメリカの大メーカーがわざわざ日本のメーカーに頼んで造ってもらったクルマがある。それがマツダ製の小型トラック、「フォード・クーリエ」だ。

 大きなクルマが主流だった当時から、エコが気になるようになった現在まで、その小さなトラックに気取ることなく、変わることなく、大切に乗り続けている人がいた。カリフォルニア州ニューアーク市に住むディーン・ルイス&マーガレット・ルイス夫妻だ。

 45年前に挙げた結婚式から7年目の74年7月に、1年落ちの中古車として手に入れて、それから38年間。酷使するでもなく過保護にするでもなく、自家用車として普通に付き合ってきた。

人物
カリフォルニア州ニューアーク市に住むディーン・ルイス&マーガレット・ルイス夫妻。結婚式から7年目の74年7月に、1年落ちの中古車としてクーリエを手に入れた。小さな荷室のスペースも、旅行中の日々を2人で過ごすには悠々としている。タイヤハウスの上部が平らになっていて、物を置くのにも便利。現在のキャンプシェルでは、キャビンと荷室はガラスで区切られたままだ。


 キャンプが好きだった2人は、結婚した当時は64年式マーキュリー・コメット・セダンに乗っていた。旅行先ではテントを使わずに車中泊をした。リアシートの背もたれを外してトランクスルーにしたコメットに、シートからトランクまで板を敷いて、夜にはその上に横になり、トランクまで足を伸ばして並んで眠った。朝になるとそのままクルマを運転し、次の場所へ移っていく。旅行の日程は立てるがその詳細については気まま。そんなキャンプスタイルを2人で楽しんでいた。

 そのコメットもエンジンが壊れ、乗り続けられなくなったときに出合ったのが73年式のフォード・クーリエだった。走行距離7000マイルの新車同様の中古車。日本製の良いうわさは耳にしていたし、キャンプシェルを取り付ければ、2人のキャンプスタイルを続けることもできそうだった。そしてとにかく、高いクルマを買うお金もなかった。2100ドル(当時で約65万円)払って前オーナーから直接このクルマを手に入れた。そのときオーナーが一緒に連れていた小さな男の子は、この赤いトラックをよほど好きだったらしく、とても寂しそうにしていたのがディーンさんの印象に残った。

 すぐに、予定通りクーリエにキャンプシェルを取り付けた。それからキャビン後ろの窓を外して荷室まで筒抜けにして、そこへ棚を据え付けた。早速カナダへ2週間の旅行に出発、クルマで寝泊まりすればお金も節約できる。据え付けた棚には、運転中はカメラを置いて、クルマを止めればいつでも写真を撮った。その日の宿泊目的地に到着したら、脱いだ服はたたんで棚に置いて、その下に丸めておいたマットを荷台に広げ、ホイールハウスの間に2人で寝転がった。朝、目が覚めたらテールゲートを開けてその回りにポールを立てて幕を張り、交代で上から水をかけてシャワーを浴びた。旅行中にはカナダからあの男の子に、「赤いトラックより」と書いた絵はがきを送った。

クルマ 外観
荷台にはキャンプシェルを取り付けている(白い部分)。購入時に取り付けたキャンプシェルは木製パネルから雨が漏るようになり、現在のものは2つめ。テールゲートにはFordの小さなバッジがついていた。頑丈そうなリアバンパーは当時のディーラーオプション品。左右ラッチ式のテールゲートや荷台外側につくフックは日本車独特のもので、アメリカ製のトラックではなぜか使われない方式である。


 仕事の休みは毎年2週間しか取れなかった。アイオワ州からミズーリ州まで回った旅行では、あまりに走行距離が長くて、旅行先でエンジンオイルの交換をしたこともあった。でも2人でキャンプするにはこのクルマで十分だった。学生時代のハイキングクラブでキャンプの楽しさを学んだマーガレットさんは、それ以来ずっと最低限の装備での旅行。「トイレにだけ気をつけてさえいれば、あとはクルマの中だけで何の問題も不自由もないのよ」。2人にとってはそれがキャンプだった。

「クーリエで苦労したことっていったって、何にもないよ。だって壊れないんだから。ああそうだ、暑い中のドライブは大変だった。40℃を超える砂漠の中では、走ってる分にはまだいいんだけど、止まった時は暑かったなあ。クーラーがないからね」とディーンさんは屈託なく言った。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年8月号 Vol.152(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text & photo:Masui Hisashi/増井久志

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