「セナ・プロ対決が盛り上がっていたし、グループAでは星野さんがR32GT‐Rで大活躍をしていた」GT‐R伝説を継承する「R使い」の美学|NISMOレーシングドライバー 松田次生

伝説のハコスカGT-Rを手に入れ うれしくて、夜な夜な走り回った

       
「最強のGT–R使い」。松田次生のほかに、そうした賛美を与えられるのにふさわしいレーシングドライバーは見当たらない。国内最高峰のスーパーGTではNISMOのエースナンバーである23号車をドライブし、プライベートではハコスカGT–RやR35ニスモ、R33ニスモ400Rなどを所有する。まさに365日、GT–R浸けのライフスタイルを貫いている。その生きざまは、文句ナシのカッコよさだ。今回はそんな、松田次生の素顔に迫る。

【GT‐R伝説を継承する「R使い」の美学 Vol.1】

 ストイックで近寄りがたい。これまで国内最高峰のレースで頂点に君臨してきた歴代のチャンピオンは、そうしたイメージが往々にしてあった。

 しかし、スーパーGTで最多勝となる19勝を達成し、ニスモのエースナンバーである「23」を背負う偉大なるチャンピオンは、あくまでも自然体だ。レーシングスーツを脱いだ時の表情は実に穏やかで、チームスタッフや取材陣への気配りも忘れない。ひと懐っこい笑顔もまた、まわりの人間をリラックスさせてくれる。

 2台の愛車からもわかる通り、彼は根っからのクルマ好きで、生粋のGT‐Rオタクである。その熱中ぶりは他に類がなく、世界広しといえど、これほど「Rに夢中になっている」人間はそうそうお目にかかれない。自他ともに認めるGT‐Rマニアぶりなのである。
 そんな松田さんが愛してやまないGT‐Rを駆り、日本最高峰のレースシーンで躍動し、歴史に名を刻んでいる。同じようにGT‐Rに魅了されている人からすれば、うらやましくもあり、GT‐Rファンにとっては愛すべき存在だといえる。打ち立てた記録は偉大だが、その本人には尊大な印象がないことも、多くのファンを引き付ける1つの魅力となっているわけだ。
 そんな松田さんの人物像に迫ってみたい。1979年6月18日。三重県で生まれた彼が、レースに興味を抱いたのは小学生の頃。地元である鈴鹿サーキットに連れていってもらったのがきっかけだった。

「当時はF1ブームのまっただ中でした。セナ・プロ対決が盛り上がっていたし、グループAでは星野(一義)さんがR32GT‐Rで大活躍をしていた頃ですね。クルマが好きだったから鈴鹿にはよく足を運びました。中学生のときは陸上競技をやっていたんですが、足をケガして断念。そんなときにカートと出合い、親に内緒でライセンスを取ったんです。そして、本格的にカートのレースをやりたいと、見積書を片手に直談判しました」

 意外なことに松田さんの両親は、レースやクルマにはまったく興味がなかったという。しかし、中学時代の彼は、どうしてもレースがやりたかった。脳裏に焼き付いていたのは、イン側のタイヤを浮かせながらコーナーを駆け抜ける「縁石走り」を披露し、圧巻の速さと強さでブッチぎっていたR32GT‐Rであり、星野さんの雄姿だった。彼の愛車遍歴にスカイライン、そしてGT‐Rが名を連ねているのは、そんな当時のイメージが強く残っていることが影響しているのは間違いない。
 そうしてレース人生はスタートを切るが、ひと筋縄ではいかないもの。豊富な資金があるわけではないし、速く走るためにどうするかを身に付けねば勝利は得られない。「とにかく速い人の後ろに付いていったり、経験豊富な先輩に意見を求めにいったり」するなど試行錯誤が繰り返された。「三日坊主ですぐに飽きるだろう」という両親の思惑ははずれ、レースの世界に心酔しメジャーシーンへと駆け上がっていく。

 並々ならぬ努力により着実にステップアップをしていった松田さんは、スーパーGTで2014年から2年連続でシリーズ制覇を達成。2017年は最終戦を優勝で飾り、シリーズ2位を獲得。ニスモのエースドライバーとして確固たる地位を築き上げていった。
 そんな松田さんだが、GT‐Rで闘うことの喜びを感じるのと変わらないほど、重責も感じているという。ライバルからはマークされるのは当然で、ファンがGT‐Rに望むのは、かつてのハコスカ、R32などと同じく、圧倒的な速さと強さで、ライバルを制する姿であることも、また然りである。

「ファンの皆さんはGT‐Rは速く、強いものだと思っています。勝つことが義務付けられているわけで、GT‐Rでレースをするのはとてつもないプレッシャーがありますよ」
 もちろん、チームにかかわるスタッフたちは、すべてにおいてGT‐Rを、そして松田さんを勝たせるために動く。
「ハコスカから脈々と続く伝説を僕らが引き継いで、さらに紡いでいかなければならないと思っています」
 GT‐Rでレースをすることの重みを受け止めたうえで勝利を目指す。松田さんが駆るGT‐Rが、新たなる伝説を築き上げていくために。



>> 【画像41枚】必勝のプレッシャー下での、GT‐R でのレースなど



GT‐Rでレースするからには、勝たないといけないプレッシャーがある/松田次生(まつだ つぎお)


1979年6月18日生まれ。中学生でカートレースを始め、翌年には中部全日本カート選手権でチャンピオンを獲得し頭角を表わす。高校3年生で鈴鹿フォーミュラーレーシングスクールに入学。スカラシップ権を勝ち取り、全日本F3選手権にステップアップ。ちなみに同期には佐藤琢磨がいた。その後、フォーミュラニッポンや全日本GT選手権に参戦し、2014年と2015年にはMOTUL AUTECH GT-Rで2年連続のシリーズ制覇を達成。2017年は、同チームからエントリーしてシリーズ2位を獲得した。



次記事に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2018年2月号 Vol.185
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

NISMOレーシングドライバー 松田次生(全6記事)

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text : ISAO KATSUMORI(ZOO)/勝森勇夫(ズー) photo : RYOTA-RAW SHIMIZU(FOXX BOOKS)/清水良太郎(フォックス ブックス)

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