84年以来15台ものダットサンを乗り継いできたとツワモノも! 旧車はいじって楽しむのがニュージーランド流 2

アディントンレースウェイの駐車場に集まったクルマは、70年代から90年代まで多彩な車種構成。目立つことよりも速く走るための改造が中心。オーナーの年齢層は20代が圧倒的に多く、女性オーナーも少なからずいた。乗り合いで参加する人が多かったのは「クルマを修理中や改造中の人が多いから」。

旧車を速いクルマに仕立てる改造が盛んなニュージーランド。それは、日本が誇ったダットサンをダットサンでなくしてしまうことなのではないか。そこには旧車に対する敬意などまるでないように思われたのだ。実はこのことが気にかかってどうにも仕方がなかった。そんな苦悩を打ち明けると、84年以来15台ものダットサンを乗り継いできたというヴォーン・フェントンさんが詳しく説明してくれた。

人物 クルマ ガレージ
日本旧車のレンタカーというユニークなビジネスを営むヴォーン・フェントンさん(右)の自宅車
庫は、ダットサン1200と3台のS30Zとが並ぶきれいな車庫だった。謙虚で礼儀正しいキウイの代
表のようなフェントンさんは、その穏やかな口調でキウイたちのダットサンへの熱い思いを聞かせ
てくれた。


 自国に自動車メーカーを持たなかった島国のニュージーランドは、、似た地形だが自動車製造国だった日本やイギリスのクルマ史とは実に異なるものだった。60年代から70年代にかけて、イギリス連邦の小国だったニュージーランドは、国内経済を発展させる必要性に迫られていた。イギリス連邦以外からの輸入車には高い関税をかけ、そのうえ自国通貨の流失を防ぐために外貨を持たない限り輸入車を購入できない、という時代だった。このような政策のため70年代前半までは、同じ右ハンドルであるイギリス車やオーストラリア製フォードとホールデンが圧倒的に多かった。
 そこにダットサン310が輸入されると、速くて信頼性が高いと一部で人気を獲得し、キウイ(ニュージーランド人たちの総称)たちの目が日本車に向き始めた。そして国内の雇用を増やし、クルマを安く販売するために取られた方法が、ダットサン1200セダン(B110サニー)などの日本車をニュージーランド国内で組み立てること(ノックダウン方式)だった。イギリス人に劣らずレース好きの国民性は、ブルーバードSSSを模した1200SSSというニュージーランド特有のモデルをレースシーンに送り込んだこともあった。このモデルは市販用に800台以上が生産された。
 しかしその間も1600(510ブルーバード)や240Zなどの日本製のダットサンは関税のため高価であり、また決して豊かとは言えなかったこの国では、2シーターのスポーツカーは実用性に欠け過ぎていた。日本車の評判も高まり、輸入車に対する関税も下げられた後にもたらされた180B(610ブルーバードU)が、この国で大ヒットした初の日本車となった。
 80年代中ごろになり中古車の輸入が自由化されると、日本で使われた70年代のクルマがバブル経済を背景に、整備もされないまま大量に流入。これら70年代の日本車に対して、リアルタイムでの体験でなかったこと、整備の必要なクルマばかりだったことから、オリジナルにこだわる意識はキウイたちの間には生まれなかった。さらにそこではニュージーランドの寛容な法制度も手伝った。
 排ガス規制はほとんどないに等しかった。大胆な改造を車両に施しても公的検査を受けて承認されれば(検査費用は1回300~400NZドル)、改造車は合法となる。このため足回りの改造はもちろん、一度エンジンを降ろしたら、何も同じエンジンを載せる必要などない。もっとパワフルなエンジンが欲しくなる。破格で手に入る日本旧車のベース車両、その修理パーツも安い。毎年の税金も製造年から40年経てば、350NZドルから150NZドルへと安くなる。

自動車修理
案内してくれていたアンディ・ギャラファーさんの73年式ダットサン1200の水温が途中で急上昇。
ホースクランプの突起に冷却水ホースがこすれて穴が開き、冷却水漏れを起していた。友人のバー
ト・テイラーさんに電話で助けを求めるとすぐに迎えにきてくれて、クルマを乗り換え、ガレージ
ツアーを継続。


 そこに若い世代が飛びついたのだった。傷んだクルマを安く手に入れて、後は自分で好きなように仕上げればいい。人口密度が低いため、都市近郊であっても広いガレージ付きの家は多い。例えば、郊外の広いアパートに3人でシェアして住む24歳のギャラファーさんも、6台分のガレージを含めて1人の家賃が500NZドルちょっと。こうして若者は自分の造りあげたダットサンで、高級車に乗る鼻高々なドライバーをぶっちぎることに快感をおぼえた。
 だから日本旧車だったのである。リアルタイムで旧車を体験しなかった若い世代の彼らは、日本旧車を全く違う目で見ていたのだった。改造に挑戦し、自分の目標を達成するための土台を提供してくれるダットサンに対し、強いこだわりを持ち深く尊敬していたのだ。ただし改造をするにも最低限の暗黙の了解がある。それは、ダットサンにはニッサンのエンジンを載せることだ。

自動車 走行
ミーティング後のツーリング。町を少し離れれば、信号も渋滞もない田舎道の快適なドライブが楽
しめた。ジョッシュ・ライアンさんの運転する71年式コロナ、その前を行くのは81年式カローラ
ワゴンのジェイムス・ホーナーさん。

人物 クルマ
人物 クルマ
(写真上)74年式ダットサン140J(バイオレット)のオーナー、ルシンダ・エベットさんはもうす
ぐ21歳。17歳のときにこのクルマを購入、全塗装した。「売買が成立した後に、前オーナーが追加
料金を吹っかけてきたのよ」というルシンダさんは、都合良くも法律事務所に勤めていた。簡単な整
備作業は自分でやるそうだ。
(写真下)20歳になったばかりのカイリー・リードさん。愛車の73年式Kシリーズのカローラを「ケ
イシー」と名付けた。5年前の免許取り立てのころに友人のカローラを見て一目ぼれした美容師のカイ
リーさんは、オイルまみれでクルマをいじるのをいとわないし、バーンアウト競技にも参加する。
「旧車はただ所有しているんじゃなくて、ライフスタイルそのもの」という。


人物 クルマ
A15型エンジンに換装してある79年式サニーワゴンは、ブレンダン・マックエワンさん。デーブ・
クロスビーさんの80年式カローラワゴンはハイラックスのLSDを流用し、ターボで220psを誇る。
見た目がカッコいいうえに、車内に泊まることもできるワゴンの実用性の高さが、何といっても魅
力だとか。


クルマ外観
81年式RX-7はジェイソン・スミスさん。黒いナンバープレートは当時のもので、旧車ファンとして
は自慢のアイテムだ。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年6月号 Vol.151(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text & photo:Masui Hisashi/増井久志

RECOMMENDED