1961年、実用化に向けた研究と開発がスタートした|ロータリーエンジン誕生への道のり【1】時代を切り開いたコスモ スポーツの変遷

そして1967年5月30日、世界初の2ローターRE、10A搭載のコスモ スポーツが発売された

       
【ロータリーエンジン誕生への道のり Vol.1】

 ロータリーエンジン(以降RE)搭載の市販車が国内を走り始めて50年。REはさまざまなクルマに搭載され、その性能は年を追うごとに向上していった。そしていつしか「REといえばマツダ」という図式が生まれ、それは50年の長きにわたり変わることはなかった。
 REの回転動機構からエネルギーを得る独特の機構自体は古くから存在していたのだが、動力源としての活用までには長い道のりがあった。理論上は理解できても、実用化できなかったのだ。

NUS社の開発が世界を動かす

 その長い歴史に一石を投じたのが、のちにアウディと合併するNSUの研究者フェリクス・ヴァンケル博士が
発明したREであった。1959年、RE実用化へのニュースが世界を駆け巡り、多くの自動車メーカーは、その新エンジンに興味を示し、約100社から技術提携の申し入れが寄せられた。

 1961年、国内では最終的に東洋工業(現・マツダ)がNSU社との技術提携を行うことになったのだが、その際、東洋工業は莫大な資金を投入している。社運をかけた行動であった。

 なぜ、そこまで本腰を入れたのか?
それは、ちょうどそのころ、政府の働きかけで、自動車メーカーの統合が進められ、国際競争に勝てるメーカーの樹立を目指した動き、業界再編が行われていたからといえるだろう。

 自動車メーカーとしては後発であった東洋工業は、この波にのみ込まれないように、と独自路線を打ち出し、単独自動車メーカーヘのかじをとろうとしていたのだ。そこで、REという切り札が、どうしても欲しかった。

 しかし、東洋工業の動きに冷ややかな目があったのも事実。長年、存在していたREが実用化できるか、疑問に感じる人は多かった。自動車雑誌ではネガティブな言葉が並び、マーケットでは東洋工業の動向に注目が集まった。

 東洋工業はNSU社との技術提携調印後すぐに、試作の400ccシングルRE本体と設計図を手に入れ、実用化に向けた研究と開発がスタートした。


>>【画像7枚】NUS社の試作ロータリーエンジンなど

理想のREが抱えた難問の数々

 シンプルな構造でメカニカルノイズや振動が少なく、コンパクトなサイズ。REはエンジンの理想的な形といえた。しかし、試作機が手元に届き、実際の性能を確認すると、大きな問題が山積。

 一番大きな問題として出てきたのが、エンジンを動かしていると、ハウジングの内側(レシプロエンジンでいうところのシリンダー内側)に波状の傷、チャターマークが発生することだった。この傷は耐久性を低下させ、エンジン本体に重大な影響を与える可能性が高かった。そのほかにも、燃焼室にオイルが漏れ、白煙を大量に吹き出すとともに、オイル消費が激しく起こる現象、低回転時の不安定による、トルクのばらつき、アイドリング時の燃焼不安定など、数多くの問題が出てきていた。

 目の前の問題の多さに閉口していたスタッフたちを鼓舞したのは松田恒次社長であった。パーツメーカーも巻き込み、チーム一丸となって開発をすすめようとする環境づくりに尽力した。




>> 西ドイツのNUS社を訪れたロータリーエンジン研究部長だった山本健一さん(写真右)。たとえ海外であっても積極的に情報交換をし、開発を進めた。


【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年8月号 Vol.182
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

ロータリーエンジン誕生への道のり(全2記事)

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text:KEISHI WATANABE/渡辺圭史 photo:Mazda Motor Corporation/マツダ

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