北米仕様にはないDOHCを手に入れる! お気に入りは欧州仕様のセリカLB 1|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方

鮮やかなオレンジ色の75年式セリカリフトバック2000GT。ヨーロッパ仕様として生産されたクルマが、スイスを経てアメリカに輸入された個体である。

日本にも輸入車を深く愛するファンがいるのと同じように、海外にも日本車に特別な親しみを感じているオーナーたちがいる。

世界的なオークション会社の自動車部門に勤務し、週末になるとヒストリックカーレースやイベントに参加する1人のアメリカ人青年。

その自慢の愛車は、わざわざヨーロッパから輸入した現地仕様の1975年式トヨタ・セリカリフトバックだった。

 サンフランシスコから北に向かってゴールデンゲートブリッジを渡ると、サウサリートという小さな港町がある。

ここに住むデイビッド・スウィッグさん(27歳)は、幼い頃からクルマに囲まれて育った大のクルマ好き、なかでも日本車に特別の思いを抱いている。
公私ともどもクルマに関わる生活を送るなかでも強い思い入れのある1台が、このトヨタ・セリカリフトバックだ。

毎日クルマに囲まれているというデイビッドさんの生活とはどんなものなのだろう。
また日本車になぜそれほどの魅力を感じるのだろうか。

 デイビッドさんの父親のマーチンさんは、アメリカのモータリゼーションの時代にイタリア車や日本車の販売店を経営した実業家で、趣味ではレースを楽しむという、すでに家庭の生活全体がクルマとともにあった。

そんな中で育ったデイビッドさんは、物心つく前から身の回りはクルマに関するものだらけだった。

デイビッドさんの母親のエスタさんによれば、「赤ちゃんの時に初めてしゃべった言葉は『パパ』でも『ママ』でもなくて、ミニカーをいじりながら『ホイール』って言ったのよ」というから、なんとも家庭の様子がうかがい知れるというものだろう。
本人も「5歳のときにレース場(現在のインフィニオンレースウェイ)の金網にしがみついてたのをよく覚えてるよ」という。

 そんな幼少期を過ごしたデイビッドさん、子供の頃に最初にほれ込んだクルマがダットサン510で、「もうただひたすらかっこ良かった」のだそうだ。

BRE(アメリカのレーシングカーデザイナーのピート・ブロックが率いた「ブルック・レーシング・エンタープライゼス」。
240ZでSCCAプロダクションCクラスでチャンピオン。

510ブルーバードでトランザムシリーズ2.5Lでチャンピオンを獲得した)のことももちろん知っていて、11歳のときのドリームカーは、BRE仕様の510、これでストリートを走ることだったという。

ちなみに自らもヒストリックレースに参戦するエスタさんによると、女性レーサーは「40人くらいのクラスで2人だったわ」というくらいはいるそうである。

 デイビッドさんは16歳で免許を取ると、初めてのクルマとなった87年式アルファ・ロメオ75ミラノでさっそくオートクロス(ジムカーナ)を始めた。

その後にトヨタMR2を手に入れると、地元の峠に走りに行くようになった。
ここで出会ったのが、「目から鱗が落ちたようだった」というAE86カローラのグループだった。

このハチロク乗りたちとはすぐに意気投合し、自らもハチロクに乗り換えて、夜な夜な峠でドリフト技術を磨きながら、公式ドリフトイベント、レースにも参加するようになった。

日本では何かと反社会的に捉えられがちな峠走行だが、ここサンフランシスコの外れの山には住宅もなく、夜中にはクルマがほとんど通らない。

こうして10代のうちに知り合ったたくさんの友達が、日本車という文化に気づかせてくれたのだという。
幼少期には日本車に囲まれて育ったのだから、元々素地はあったのだ。

そのことをデイビッドさんは自分の日本車好きの理由だと感じている。


クルマ フリーウエイ
ヨーロッパ仕様であるため、後期型の特徴であるテールランプなどを備えつつも、バンパーは5マイ
ルバンパーではない前期型のものだった。

人物
セリカLBのオーナーのデイビッド・スウィッグさん(左)と、同行してくれた弟のハワードさん。
ハワードさんもレーサーとして活躍中。

 職業として地元のトヨタ販売店で接客を経験し、有名雑誌社でインターンとしてクルマ業界のことを学んだ後、現在は世界的なオークション会社の自動車部門に勤務し、日々コレクターカーの取引に従事している。

週末になるとヒストリックカーレースやイベントに出場するのだが、これもクラシックカーのプロモーション活動という仕事の一環なのだそうだ。
そんな自分の活動を指して「クルマは仕事であり趣味です」と、はっきりと自覚している。

「特に日本車だけが好きなつもりはないんです」としながらも日本車に親しみを感じていて、また職業柄、日本車はコレクターカーとしての潜在性をまだ十分に評価されていないというのが、デイビッドさんが常々考えていることだ。

 そんなデイビッドさんが複数台所有するクルマのなかでも、特に気に入っているのがこのセリカLBであり、まさに自慢の1台だ。

「走行距離が少なく、良好な状態で現存する非常にレアなクルマ」と、オークションのような口調で言った。
実は、セリカLBはフォード・マスタングに似ていると言われるようにアメリカを意識したにもかかわらず、北米仕様にはハイパフォーマンスのDOHCエンジンの設定がなかった。

70年ごろにはトヨタ2000GTも北米向けにSOHC仕様が準備されたと言われるくらいだった。


ガレージ
日本車9台が並べられていたデイビッドさんのガレージ。84年式ダットサン200SXコンバーチブル
(ニッサンガゼール)や77年式トヨタカローラSR-5リフトバックなどがあった。オリジナルの状態
を保っていた73年式ダットサン510は、2ドアクーペ4MT仕様で、タコメーター付きだ。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年4月号 Vol.150(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text & photo:Masui Hisashi/増井久志

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