ルート66を走る! ダットサン仲間が確かめ合った絆 vol.2|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方 第5回 後編

SPやSR以外のダットサンも多数参加。第2会場までのパレードは壮観だった。地元の人々やダットサンファンも、このイベントを盛り上げてくれた。

全米各地のダットサンオーナーたちが駆けつけた「マルチステート・ダットサン・クラシック by 南カリフォルニア・ダットサンロードスター・オーナーズクラブ」と名付けられたこのイベントリポートの第2弾! 北米のダットサンオーナーたちの絆は永遠なのだ。

 イベント当日の朝の空気は、日本の秋の軽井沢のイメージだった。
すでに会場が設置され、町の小さな老舗のレストランの駐車場には、到着するクルマの音だけが響く。
地元から気軽に参加した人、ダットサンでの長距離走破を意義とした人、特別のイベントだからととっておきのダットサンをけん引して参加した人など、それぞれだ。

天候不良や直前の故障のためやむなく不参加となった人もあり、当日の参加は7台減の50台だった。
会場を見渡すと、ロードスターとZがそれぞれ3分の1程度、残りの3分の1が510やその他のダットサン。
きれいに磨き上げられたショーカー、レース用に改造されたクルマ、日常の足グルマなど、多彩な車種構成だ。
ぎっしりと荷物が詰め込まれているのは、遠距離参加のクルマなのだろう。

 仕事を持つ人が、楽しみのためにイベントを実行するのは、容易ではない。
地元で開催する小さなイベントであってもだ。
ブレヤーさんはなぜ、こんな大変なイベントを企画しようと思ったのだろう。

「きっかけはね、ウィリアムズに住む友人のディクソンさんが『たまには遊びに来いよ』と言ってくれたことからなんだよ。
それで、どうせ集まるなら公式なイベントにしてしまおう、と思った。
グランドキャニオンという観光地もあることだし、みんな来てくれるんじゃないか、とね」

 準備を手伝ってくれる友人がいたとはいえ、ブレヤーさん本人も準備のために2度も現地入りしたそうだ。
特に大変だったのは会場(駐車場)の確保だった。
10台程度の集まりならまだしも、それ以上台数が多くなると、自由に使える駐車場はそうそう見つからない。
今回は幸いにも地元の老舗レストランに協力してもらうことができた。

 また、開催費用も結構かかる。
参加記念のTシャツ、受賞者の表彰盾、それに自治体への手数料などなど。

「残念だけど、今回は参加者からの寄付金だけではまかないきれなかった」
 こんなに入れ込んでいるブレヤーさんも、ダットサンのコミュニティーでは比較的新顔なのだ。
クルマ関係の事業を営んでいた父親の影響で、子供の頃からクルマに接してきたが、初めてのダットサンは4年前に買ったダットサン1600だった。

それを今日まで少しずつ直しながら乗ってきた。
ダットサンの購入と同時に、それまで休止状態だったSocal ROCを前任者から引き継ぎ、その息を吹き返させた。
それ以来活発に活動して、会員数は現在200人近く。
ロサンゼルス地域だけでなく全米、さらには日本にも会員がいるそうだ。

人物
このイベントの企画運営代表のクリス・ブレヤーさん。愛車は赤のダットサン1600。SoCalROCの
代表であるとともに、この日は天気予報が寒さを告げていたので、幌は閉じたままだった。

「みんな、われわれの活動が好きだと言ってくれるんだよ」
 謙虚に語るが、自分たちの運営には自信を持っている。何がそこまでブレヤーさんを突き動かすのだろう。
「ダットサンのオーナーはね、みんな人がいいんだよ。例えば、アメリカ車なんかの集まりに行ってみると『おい、オレのクルマを見てみろよ。最高だろ』という連中ばかりだけど、ダットサンのファンは『へえー、君はどんなクルマ乗ってるの?』という感じで、他人のクルマにも興味を持つんだ。だから人の交流ができる」

 ダットサンを通じた人々との交流が楽しいのだそうだ。

「だから、いろんな人に会いたいから、集まってもらいたいから、マンネリにならないように、いろいろな企画を考えているんだ」

 ブレヤーさんは精神科のカウンセラーであり、重度の心的外傷のカウンセリングが本職。ダットサンオーナーが互いに交流を深め、楽しく過ごしている様子をブレヤーさん自身が楽しんでいるように思われた。そしてその楽しさが、ブレヤーさんをますます強く突き動かしているようだった。

人物 ストリート
ルート66にある第2会場となった、ガスステーション・ミュージアム。さっきまで静かだったここ
へ、多数のダットサンが押し寄せてきた。受賞したクルマの周りを取り囲んだ参加者全員が、表彰
式とラッフル(くじ引き)を楽しんだ後、ブレヤーさんの挨拶で閉会となった。建物の鮮やかなオ
レンジ色と白に塗られた壁が、抜けるような青い空の下で映えていた。


 遠慮がちに互いのクルマをのぞき見ていた人たちも、それぞれの昼食の済んだ頃には、おしゃべりしている雰囲気も和んでいた。
イベントのほうは、目抜き通りのパレードを経て、第2会場のガスステーション・ミュージアムへ移動。
参加者全員がひとつの場所に集まると親近感はさらに高まる。

家族参加した子供たちがはしゃぎまわり、大人たちの語らいはいつまでも続いた。

 閉会宣言で、楽しかった時は終了。
参加者が三々五々帰路につくと、「バーン・ビクテム」のオーナーのディクソンさんが、ブレヤーさんをはじめ主催者の面々を町外れの山にある自宅へ招待した。

この集まりこそが、今回のイベント企画の発端だったのだ。

 夕食に先だって、日が暮れ始めて気温の下がってきた中、木々の生えた広い裏庭を散策。
するとスクラップ同然の抜け殻も合わせて、10台ものロードスターが転がっていた。

一体なぜ?

「スクラップになりそうなロードスターを見つけると『つぶされるくらいなら、オレが引き取ってここに置いておけば、いつかレストアしてやれるかもしれない。

もし自分ができなくても、いつか誰かが直せる時が来るだろう』って思うんだ。
もしそれがかなわなかったなら、そのときにスクラップにすればいいじゃないか」

 とても思慮深い言葉が飛び出した。
冬には雪で埋もれてしまうような土地で、いつか道路に戻れる日をじっと待っているロードスターたち。
ディクソンさんはプロのメカニックではなく、医療の研究機関で白衣を着て働くのが本職であり、クルマに費やすことのできる時間は限られているのだ。



クルマ 人物
バーン・ビクテム(火事の被害者)と仲間内で呼ばれていたロードスター2000。オーナーは60年代
ヒッピー然としたロン・ディクソンさん(写真中央)だ。18年前のこと、納屋の中に止めていたとき
にこのクルマは火事にあった。部品取りにしようと思って当時のオーナーから買い取ったが、「意外
とよく走るじゃないか」ということで、可能な限りそのままで使用しているのだそうだ。内装はかな
り痛々しい状態だった。ボンネットとハードトップは後から取り付けたもの。


 奥さんのジンジャーさんが振る舞う家庭料理を、薪の燃える暖炉の前で楽しんだ15人の面々は、今日のイベントのおしゃべりをしながら、互いの労をねぎらった。

「不手際もあったけどね、来年にむけて改善するよ。
そう、恒例イベントにするつもりなんだ」
 ブレヤーさんが心意気を語った。

 翌日の朝、町の目抜き通りに数台のダットサンが止まっていた。
まだこの町に残っていたんだ。
ふと甦る昨日の余韻が心地いい。

今朝はグランドキャニオンへと出かけるツアーである。

ウィリアムズからグランドキャニオンまでは100km、1時間強の道のりだ。
そしてグランドキャニオンへとたどり着いたのは、くしくもリバーサイドから出発した3台だけだった。
トラブルに見舞われたコミーさんの元気な姿もあった。

「バーストウでね『もういいから、家に帰るよ』というダンを一生懸命励まして引き止めたのよ」
 ルースさんの声が明るかった。
ダウニングさんが「今日はここまで来るだけでエンジンが息つきばかり。

どこかでフューエルフィルターを買って交換しなきゃ」とこぼすと、モリールさんが即座に「パーツ持ってるよ」とひと言。
不安そうだったダウニングさんの表情が、驚きとともに明るくなった。

 2泊の旅で経験したダットサンを愛する人たちの人柄。
協力して苦労を乗り越え、楽しみを分かち合い、再び集い、そして再び別れる。

それぞれの最終目的地まで、みんなどんな旅をするのだろう。
そう思うと、将来の再会の日が楽しみになった。



クルマ 人物
65年式320トラックの、クランクがけデモンストレーションをしてくれたデール・ハーセスさん。
「なんだ、そのバンパーの穴は。シボレーのマークなんじゃないか?」と、はやし立てられる中、
差し込んだハンドルをクルンと半回転させただけで、エンジンが「トコトコトコ」と軽いアイドリ
ング音をたて始めた。

人物
人物
オリジナル度の非常に高かった右ハンドルの71年式サニー1200 2ドア。「毎年恒例の地元のイベン
トに持っていくのはもう飽きた。だからここに持ってきたんだ」と語ったロサンゼルスから参加のマ
ーク・ダンカンさんは、今イベントの最高位「ボンデュラント賞」を獲得。「床に固定されているア
クセルペダルがちょっと窮屈なんだよね」。上からぶら下がる左ハンドル仕様のペダルのほうが好き
だとのこと。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年2月号 Vol.149(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text & photo:Masui Hisashi/増井久志

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