AE86完全攻略|四半世紀に渡るレビン&トレノの足跡【1】1972年初代レビン&トレノがデビュー。AE92が大ヒットし中古車があふれたハチロク Vol.1

歴代のカローラ・レビンたち

       

【四半世紀に渡るレビン&トレノの足跡 Vol.1】

初代デビューから生産終了まで7世代に渡る歴代モデルを振り返るとともに、シリーズのなかでさん然と輝くハチロクの、ファンを熱狂させる理由をひも解く

 カローラ系のスポーティーモデルとして位置付けられた初代レビン&トレノがデビューしたのが1972年。それから最終モデルのAE111まで、7世代28年間も生産が続けられたこのシリーズのなかで、最も人気が高いのは4代目のAE86、通称ハチロクだ。

 ハチロクのモデルライフをざっと振り返ると、レビンとトレノの2車種ともにデビューは1983年5月。1984年2月に一部改良、1985年5月にマイナーチェンジを実施している。デビュー時を前期またはⅠ型、一部改良後を中期またはⅡ型、マイナーチェンジ後を後期またはⅢ型の3つに区別するが、一部改良は小変更なのでマイナーチェンジを境に前/後期と大きく2つに分ける場合も多い。

 人気の根底にあるのは、何と言っても走りの楽しさだ。ハチロクは4A‐G型という高性能・高回転の新開発DOHC4バルブエンジンと、スポーティーモデルの大鉄則「軽量」、「コンパクト」、「FR」という素性の良さを持っていた。それを証明したのがレースシーンでの活躍。ドリキンの異名を持つ土屋圭市が、1984年の富士フレッシュマンレースで6戦全勝のシリーズチャンピオンを獲得したのを筆頭に、全日本ツーリングカー選手権でも躍進。このような輝かしい戦績がハチロクのポテンシャルの高さを物語り、ファンを急増させた。本誌読者のなかにもハチロクをドライブしてサーキットへ足を運んだ人がいるはずだ。

 こうしたレースの盛り上がりとともに熱くなっていったのがドリフトブームである。サーキットでのハチロクの勇姿に刺激され、「オレだって!」というクルマ好きが増え始める。そして、起爆剤になったのがAE92へのモデルチェンジ。バブル景気の波にも乗ってAE92が大ヒットしたことでハチロクの中古車が急増し、若者たちが手ごろなマシンとしてハチロクを選んだ。ハチロクはいわゆる「走り屋」たちの間で扱いやすい、コントロールしやすいクルマの代名詞となり、ドリフト入門車として若者から絶大な支持を得た。元号が平成に変わった頃、夜な夜な峠道にスキール音を響かせるクルマたちの中心にハチロクがいたのだ。

>>【画像16枚】カローラ系のスポーティーモデルとして位置付けられた初代レビン&トレノがデビューしたのが1972年。それから最終モデルのAE111まで、7世代28年間も生産が続けられた各世代のレビンとトレノのスタイリング




【2】に続く

初出:ハチマルヒーロー 2015年 11月号 vol.32
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

四半世紀に渡るレビン&トレノの足跡(全2記事)

関連記事: AE86完全攻略

関連記事: AE86

RECOMMENDED

RELATED

RANKING