セダンの倍近い価格のクーペで35台、コンバーティブルは25台。木型で叩き出すハンドメイドボディ|1962年式 プリンス スカイライン スポーツ・クーペ Vol.2

プロトタイプはナルディ製だったステアリングホイールは、市販時にはデザインの似た国内製となった。シート、トリムなどと合わせてカラーコーディネートされて内装が高級感を醸し出す。

       
スカイラインは日本のクルマ好きにとって、特別なブランドであることは間違いない。
1957年4月、富士精密工業のセダンとして初代プリンス・スカイラインがデビュー。
61年2月に社名をプリンス自動車工業に変更した後は、名実ともにプリンスの屋台骨を支える
主力モデルとして進化していく。2代目S  50系時代の66年8月には、プリンスと日産自動車が合併。
日産スカイラインとして3代目C 10系、4代目C110系、そして5代目C210系と、それぞれ個性的なモデルが次々に登場。スカイライン物語は続く。

【1962年式 プリンス スカイライン スポーツ・クーペ Vol.2】

【1】から続く

 翌1961年3月には日本でのお披露目のため、東京の赤坂プリンスホテルで記者発表が行われ、同年10月の第8回全日本自動車ショーに展示、話題を独占した。実際の発売は1962年4月になるのだが、プリンスでの生産開始までの手順も独特なものとなった。ボディはハンドメイドのため、いくつにも分割された木型に合わせてボディ用の鉄板を叩き出す手法が取られた。イタリアからアレマーノの技術者を日本に招へい。現地から輸送された木型を使って、ボディ製造の方法を直接指導してもらい、日本で量産を開始した。

 当初200台のスカイラインスポーツを製造する予定だったが、クーペ35台、コンバーティブル25台の計60台で終了となった。車両価格がクーペで185万円と、セダンの倍近い高額であり、当時は2ドアクーペが買える余裕ある人たちが少なかったのだ。

>>【画像24枚】富士精密工業時代のGB4型と中身は基本的に同じエンジンだが、プリンス自動車工業となり、名称が変更されたG2型でエンジンなど



中央の4連メーターはプロトタイプにはなく、量産仕様で装着されたもの。左から3針時計、電流計、燃料計、水温計の順。





トランスミッションは前進4速、後進1速で、コラムレバーによって変速操作をする。






前後のシートは本革で仕立てられたものを装着。リクライニング用のパーツ類もメッキで仕上げられ、職人技が随所に見受けられる。ビニールは保護のために付けられている。


1962年式 プリンス スカイライン スポーツ・クーペ(R21A-1)
SPECIFICATION 諸元
全長 4650mm
全幅 1695mm
全高 1385mm
ホイールベース 2535mm
トレッド前/後 1338 / 1374mm
最低地上高 210mm
室内長 1680mm
室内幅 1100mm
室内高 1315mm
車両重量 1350kg
乗車定員 5名
最高速度 150km / h
登坂能力 sinθ0.48
最小回転半径 5.4m
エンジン型式 G2型
エンジン種類 水冷直列4気筒OHV
総排気量 1862cc
ボア×ストローク 84×84mm
圧縮比 8.5:1
最高出力 94ps / 4800rpm
最大トルク 15.6kg-m / 3600rpm
燃料供給装置 シングルキャブレター
燃料タンク容量 40L
変速機 前進4段 / 後退 1段
変速比 1速 4.183 / 2速 2.642 / 3速 1.596 / 4速 1.000 / 後退 5.503
最終減速比 4.625
ステアリング形式 ウオーム&セクターローラー式
サスペンション前/後 ダブルウイッシュボーン・コイル / ド・ディオンアクスル・リーフ
ブレーキ前後とも ドラム
タイヤ前後とも 5.90-15 4PR
発売当時価格 185万円

【3】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年6月号 Vol.181
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1962年式 プリンス スカイライン スポーツ・クーペ(全3記事)

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【1】から続く

photo:ISAO YATSUI/谷井 功

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