カッパーブラウンのボディを美しく再生 330 グロリア 1

1971年式 日産 グロリア 2000GL-E

       
1971 NISSAN GLORIA 2000GL-E

日産 グロリア 2000GL-E

  中学生の頃、十円玉に酸をかけて本来の青銅色にする実験をした記憶はないだろうか。汚れて茶色になった十円玉が瞬く間に光り輝く色を取り戻す姿。金属に美しさを感じる最初の記憶かも知れない。その輝きに限りなく近い色の77年式のC‐331型グロリア。実はオリジナルの色ではない。購入後のレストア時にトランクの裏地に残っていた色をもとにオールペイントしたためだ。ボディ全体に使う色とトランク、ボンネットの裏地に使う色は若干違う。そのためオリジナルのカッパーブラウンに比べてオレンジに近い色になってしまったとオーナーの小比田憲治さん。「オリジナルのカラーはもっと銅に近くて、もっと暗い色です。でもこの色は気に入っています」という。確かに重厚感ある青銅色も良いが、まだ若いオーナーには明るい色の方が合っている。

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 年齢が若いにもかかわらず旧車を中心に多くの車歴を持つ小比田さんは、ここ2、3年で、結婚し、家を建て、子供が生まれるなど、大きく状況が変わったが、奥さまの理解があり、イベントへも夫婦で参加するなど独身時代と変わらないクルマ一色の生活を送っている。ただ自宅リビングに並べられているミニカーの中にバイクの影がちらほら。「実はバイクも好きでいろいろ手を出していたのですが、クルマとバイクのどちらかにしてと家内に言われまして」と苦笑い。これからはグロリアだけの生活にすると宣言。長く乗り続けるためにバッテリーをはじめ、電気系の消耗品を新品に交換しているが、今後、気になっているダッシュボードのヒビの修復と、家族を乗せて快適に長距離移動するためのETC装備を考えている。

 74年から78年にかけておきたスーパーカーブームの最中でも、国産セダン系のクルマに夢中だったオーナーの小比田さん。それには日産セドリックに乗っていた叔父の影響が大きかったという。まだパワーウインドーが珍しかった時代、当然のように標準装備された高級車は憧れの的だった。その嗜好は中学、高校と進んでもかわらず、18歳で運転免許を取得した後はマークⅡ、クラウン、Y30セダンやY31シーマなどを乗り継ぐ。しかし叔父が所有していた330に対する気持ちだけは特別で、いつかは乗りたいと考えていた。

 仕事上クルマで長距離移動することが多い小比田さんは、街道沿いの中古車ショップのチェックを怠らない。そんなある日スクラップ寸前の状態で置いてある331グロリアを発見。ボディは錆だらけ、車内もカビで真っ黒、もちろんエンジンはかからない。しかし見かけのひどさの割にはしっかりした車体だと見抜いた小比田さんは、持ち主に直接交渉し、当時所有していた430グロリアを売却して購入。修理工場に勤める友人の協力もあり、レストアを始めた。クルマの中で発見したショップの名前からたどって、記録簿を入手。これがレストアの手助けとなり作業は順調に進む。全く改造されていなかったことや、欠落部品がほとんどなかったこともあり、約1年後新車同然の輝きを取り戻した。残念だったのはホイールキャップ。オリジナルは1個しか残っていなかった。あきらめ半分でオークションサイトを眺めていると331セドリック用のホイールキャップが何故か3個ワンセットで出品されているのを発見し落札。姉妹車であるため問題なく付けることができた。

 


330はバリエーションが非常に多く、また毎年のようにエンジンの型式が変わる。これは年度ごとの自動車排出ガス規制に適合するためで、有名な昭和50年度排出ガス規制の後も昭和51年、昭和53年、昭和54年と毎年のように改正され、その度に適合エンジンを搭載する必要があったため、330系も331、332と変化せざるを得なかった。

 

高級感を漂わせるフロントマスク。セダンタイプは丸形4灯、ハードトップは角形だった。

 

窓を全開にするとその開放感が実感できる。ドアも重量があり、現代のクルマと比較しても遜色ない高級感だ。

 

「♪フェンダーミラーのセドリック」と歌われた330を象徴するミラー。

 

グロリアは青、セドリックは赤のエンブレム。



掲載:ノスタルジックヒーロー Vol.142 ノスタルジックヒーロー2010年12月号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Isao Yatsui/谷井 功

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