「僕らが小さかったころのフィリピンではクルマはとても珍しかった」|ルーツが同じ仲間だからこそ、分かり合える趣味の世界 Vol.2

自宅敷地内のガレージには、日本旧車が整然と収められている。それはコンスタンティーノさんのきちょうめんな性格を表しているようだった。クルマの周りをせわしなく動き回って駐車位置の指示をしていたヌグさんは「クルマが好きで仕方ない」という様子が行動によく表れていて、見ているほうまで楽しくなった。

       
アメリカには熱心なニッポン旧車の愛好家がいることは、この連載を通じてお伝えしてきた。やはりニッサン、トヨタ、ホンダのファンがアメリカでは多いのだが、今回は三菱車を大切に乗り続けているオーナーと、その仲間を紹介する。2人は、ルーツが同じであるという強い絆でも結ばれているのだ。 

【ルーツが同じ仲間だからこそ、分かり合える趣味の世界 Vol.2】

【1】から続く

「僕らが小さかったころのフィリピンではクルマはとても珍しかった。1970年代になると日本車が輸入され始めて、数がどんどん増えたところでなぜか輸入が禁止されてしまったみたいで、そうしたら今度はトヨタと三菱がフィリピン国内に組み立て工場を造った。その工場が、どういう事情だったのか本国のモデルチェンジを受け入れることなく、長い間同じモデルばかりいつまでも組み立てていた。結果的に僕ら当時の子供たちは、トヨタと三菱の同じクルマばかり見て育つことになったんだ。だからその時の車種にはとても思い入れがある」
 ヌグさんが説明すると、コンスタンティーノさんが言葉を続けた。

「私もトヨタが好きだった。ところがトヨタは後に、スポーツモデルがなくなってしまった。そのころからホンダが盛り上がってきたね。シビック、最初のVTECさ。ホンダは今でも好き。三菱は、パトリックの勧めでランサーを買ったんです」
 するとヌグさんが間を置かずに口を開いて早口でまくしたてた。

「ラルフが『三菱の出物があるんだけど』って電話で相談してきたんだ。『とにかく買っておけ!』ってすぐに答えたんだよ。アメリカでクラシック三菱に出合う機会なんて、めったにないんだからね」


>>【画像22枚】前期型の外見を後期型へ変更した1981年式三菱ランサーEX 1800 GSRターボなど



ガレージの一角は作業台兼モデルカー展示のスペースに充てられていた。ヌグさんの登場した本誌VOL.170が本立てに飾ってあった。脇のテレビにはドリフトキングのビデオが流れていた。






裏庭は土地の起伏のままに一段低くなっていて、そこに巨大なガレージがある。キャンピングカー用に家の前オーナーが建てたというガレージは、天井が高いだけでなく奥行きもあって、中には日本旧車がぎっしりと9台。コンスタンティーノさんの長男アーロンさん(中央)は、「旧車はいつかそのうちに」と言い、今はトヨタ・タコマのピックアップに乗っていて満足そうだった。



【3】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年2月号 vol.179(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

ルーツが同じ仲間だからこそ、分かり合える趣味の世界(全5記事)

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【1】【2】から続く

text & photo:HISASHI MASUI/増井久志

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