2000ドルかけてわざわざクローズドで輸送。熱狂的にアメリカで受け入れられた240Z|1975年式 ダットサン 280Z Vol.4

2台用のガレージには生活用品なども多く収納されていて、完全なファクトリーオリジナルだというブウさん自慢の1972年式ダットサン240Zが、窮屈そうに収まっていた。2台目が入るスペースは残されていず、この1台を特に大切にしている様子がうかがえた。ブウさんがこの個体を手に入れたのは昨年のことで、オハイオ州にあった車両を7000ドルでファーストオーナーから購入。オハイオでは雪が降り始めの季節だったために、2000ドルかけてわざわざクローズドで輸送したほどの熱の入れようだった。

       
手に入れにくいからこそ、手に入れたい……この気持ちは世界共通なのかもしれない。クルマ好きの日本人の一部が左ハンドルの輸入車に乗りたいと思うのと同じように、アメリカのニッポン旧車好きの中ではJDM(日本国内仕様)にこだわる人もけっこう見かける。今回取材したオーナーも「オリジナル」と「ローマイレッジ」にこだわりがあるようで、自分好みのS30Zをコレクションしていた。

【1975年式 ダットサン 280Z Vol.4】

【3】から続く

 片山さんのもくろみは外れず、アメリカで発売された240Zはすぐに熱狂的に受け入れられた。ところが考えてみるとこれは奇妙なのである。というのも、アメリカでは独自のマッスルカー(7L級のフルサイズV8エンジン搭載)やポニーカー(4L級の小さめのエンジン搭載)が幅を利かせていた。ヨーロッパを起源とするスポーツカーは、輸入車の人気がイギリス車からドイツ車に取って代わられた50年代から収縮していたのである。そんな土壌に240Zはすんなりと受け入れられた。もしかするとアメリカは「スポーツカーに餓えていた」のかもしれない。

 ちなみにこのころのアメリカのクルマ文化も日本へ渡っている。ポニーカーの代表格初代フォード・マスタングのファストバックがトヨタ・セリカリフトバックのデザインモチーフとなり、高性能小型エンジンを搭載する「スペシャルティカー」という分野に発展した。
 日本国内では課税区分のために2Lに設定されたZのエンジンは、アメリカ市場では2.4Lでスタートし、その後インジェクション仕様の2.8Lへと発展するはずだった。ところがEPA(アメリカ環境保護庁)のエンジン審査に想定以上の時間がかかり、その間はキャブ仕様の2.6Lを搭載して急場をしのいだ。



エンジンの状態はすこぶる良い。エンジンルーム下部はディーラーオプションだった防錆対策の黒い塗装が施されていた。


 インテリアについて言えば、S 30がフェアレディとして成し遂げたことがひとつ認められる。先代フェアレディでは1967年にアメリカの新安全基準に添ってダッシュボードが木板製からウレタン製に変更された。残念ながら今日ではこの変更はあまり好ましく受け入れられていない。Zはこのダッシュボードを積極的に進化させ、後に続くスポーツカーの手本ともなるウレタン成型のダッシュボードのデザインを実現してみせた。定義したと言ってもいいだろう。かっこ悪くなりかけたものをカッコ良くしたのも「Z」だったのだ。

>>【画像14枚】沖縄で新車購入され、そのままアメリカへ送られたという不思議なヒストリーを持つ、リアウインドー下部に排気ベントのつく初期モデル。ブウさん自慢の1970年式日産フェアレディZ-Lなど



防錆塗装はボディに穴をあけて内部まで施された。ドアやハッチを開けたときに目につく白いプラスチック製のリベットが、その穴をふさいでいるものだ。当時は「日本車などすぐ錆びる」とアメリカで言われていた時代だった。


初出:ノスタルジックヒーロー 2016年 10月号 Vol.177(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1975年式 ダットサン 280Z(全6記事)

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【1】【2】【3】から続く

text & PHOTO:HISASHI MASUI/増井久志

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