レーシングドライバー片山義美さんを偲ぶ|レーシングロータリーを成功に導いた男

片山義美さんを偲ぶ

       
草創期から、日本、そしてマツダのモーターレーシングを牽引してきたレーシングドライバー、片山義美さんがお亡くなりになったのが、2016年3月26日。享年75。
 哀悼の意を表し、ここに当時の記事を掲載する。

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【レーシングロータリーを成功に導いた男】

 1940(昭和15)年生まれの片山さんは、21歳のときにレースデビュー。ジョンソン基地(現・埼玉県入間基地)で開催された2輪レース、第4回クラブマンレースの350ccクラスに市販車改造モデル(ホンダ・ドリームCB‐72)で個人参加(神戸木の実)。練習時に「とんでもなく速いヤツがいる」と話題になり、決勝レースでは2位(久木留博之)を周回遅れ寸前にまで引き離す快走を披露。ワークス勢を撃破する華々しい活躍で、一躍その名が知られることになった。

 その後ヤマハワークスに所属。世界グランプリで優勝を重ねる快進撃を見せながら、1964年の第2回日本グランプリにはマツダワークスから4輪デビュー(キャロル)。マツダともワークス契約(2輪はスズキに移籍)を結び、4輪と2輪で二足のわらじを履くレース活動を展開した。


>>【画像3枚】1990年10月7日の全日本富士1000kmレースで、レースキャリアに終止符を打った片山義美さんなど

 マツダと片山さんの関係は、レースドライバーとしてだけではなく、マツダ車の車両開発にもおよぶ広範なものだった。実際、マツダでの国内レース活動は、1964年の日本グランプリ以降いったん途絶え、マカオやシンガポールでのスポット活動がある程度だった。
 復帰するのはロータリーエンジン車による活動からで、その皮切りとなる1968年ニュルブルクリンク84時間レースでは、日本人ドライバーの中心的存在として活躍。

 1969年11月、まだ公認未取得の新型ファミリアロータリーを携え、Rクラスで臨んだ鈴鹿自動車レース大会が本格的な再始動となった。この時期は、スカイラインGT‐Rが着々と地力を固めつつある時期で、世の中の目がそちらを向くなか、まるで人目を避けるように鈴鹿でひっそりと国内戦デビュー。しかし、そのスピードは鮮烈で、2台のファミリア(片山、武智俊憲)はこのレースを席巻する。

 天才・片山義美と未知の可能性を秘めるロータリーパワーの登場が、その後の日本レース界に大きな影響を与えることはよく知られるとおりだ。
 こうした意味では、1972年5月3日の日本グランプリ特殊ツーリングカーレースは、マツダと片山さんにとって記念すべき日となった。新鋭サバンナRX‐3を駆って王者GT‐Rを追い詰め、ロータリー勢で表彰台を独占。自らはその中央に立つという快挙を演じたレースだった。

 片山さんは、4輪レースキャリアのすべてをマツダと共にしたが、その間マツダ車以外でもレースを行なう経歴を持っていた。ワークスドライバーの一般例でいえば、契約社以外の車両でレースをすることはほとんど希だが、マツダは自社車両の開発にフィートバックできるからと、片山さんの参戦を積極容認。その端的な例が1984年シーズンのJSPCシリーズで、バーン・シュパンと組みイセキ(トラスト)ポルシェ956を走らせた。

 当時、群を抜いて完成度が高く、圧倒的に速く強かったポルシェを知ることが、その後のマツダグループCカープロジェクトに有形無形の恩恵をもたらした。もちろん、「片山義美」という男の才能とマツダとの信頼関係が揃って初めて成せる業だった。

 片山さんは1998年JGTC・GT300クラスで、RX‐7を3レースほど走らせているが、マツダワークス片山義美としては、1990年10月の富士1000kmを最後に現役から退いた。
 鋭い眼光、浅黒い肌。サムライ、それも野武士を思わせるタフネスさとバイタリティを持ち、誰も寄せ付けぬ孤高の空気感を漂わせていたが、それでいて物腰の柔らかな対応で人に接する人物でもあった。

 食事が原因で体調を崩したル・マン参戦時「お具合は?」とお声掛けしたら「ご心配をおかけして。もう大丈夫ですよ」とにこやかに笑みを浮かべて答えてくれた姿が、いまもイメージの落差として強く印象に残っている。
 国内参戦レース数224、優勝45回。

日本のモーターレーシング界は、またひとつ大きな星を失ってしまった。ご冥福をお祈りしたい。



1990年10月7日の全日本富士1000kmレースで1961年以来続けてきた29年間のレースキャリアに終止符を打った片山義美さん。





黄金期のスカイラインGT-Rを相手に、サバンナRX-3を駆ってロータリー陣営を率いた片山さん。他を寄せ付けぬ速さがあった。






1991年にル・マンを制するマツダだがそこにいたる開発過程で大きな貢献を果たした。787片山車、1990年富士500マイルより。


初出:ノスタルジックヒーロー 2016年 6月号 Vol.175(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

レーシングロータリーを成功に導いた男


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text & photo:AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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