懐かしい商用車が揃う! Nosweb.jpに登場した「21話 & 26台のトラック」をイッキ読み!

21のストーリーと共に26台のトラックが登場。

       

Nosweb.jpで掲載された商用車。そのうちのトラックをひとまとめにチェック!


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1969年式 トヨタ ハイラックス

高校生のころ、父親が買ったトヨタのトラック、思い出とともに過ごした42年

https://nosweb.jp/articles/detail/2283



 オーナーが高校生のころ、父親が中古で手に入れたトヨタ・ハイラックス。それからずっと家のクルマとして維持されて、時の移り変わりをずっと眺めてきた。アメリカ人にとって「ピックアップ・トラック」は、特別な価値を持つ。ピカピカに磨かれ、ドレスアップされた個体がある一方、使われっぱなしのまま、長い年月の経過を車体全体で表現している個体もある。今回の取材車両は後者、でもそれはそれで味があるのだ。

1968年式 トヨタ ハイラックス

全幅1580mmの軽量ボディ! 「マユ毛」のニックネームで親しまれている初代ハイラックス

https://nosweb.jp/articles/detail/2931




21世紀、日本の街から消えてしまった小型ボンネットトラックだが、昭和の時代、仕事にプライベートに大いに活躍した働き者であったことに間違いはない。
そんな働くクルマにトヨタの名機「4A-G型」を積んだらどうなるか? 偉大なる昭和のトヨタのコラボ、お見逃しなく!


1962年式 マツダ T1500

現役で働く商用車 長距離移動も何のその! 農園で働くオート3輪

https://nosweb.jp/articles/detail/144



 今、日本の道路でほとんど見かけなくなってしまった商用車がオート3輪車だ。戦前、早い時期にオート3輪車の世界に興味を示し、生産に踏み切ったのが東洋工業を名乗っていたマツダと軽自動車メーカーとして知られるダイハツ工業である。マツダがオート3輪車の世界に足を踏み入れたのは、昭和初期の1931年だった。


1968年式 プリンス クリッパー低床

現役で働く商用車「落花生屋ではありません!」 リフォーム屋で働くプリンス時代のトラック

https://nosweb.jp/articles/detail/131



 自宅のキッチンやガス台をリフォームする日。家の前に止まったリフォーム屋さんのクルマが、なぜか「落花生問屋」と書かれた古い、あまりにも古いトラックだったとしたら……。



1966年式 トヨペット スタウト1900

現役で働く商用車 心機一転! 左官屋で働くボンネット型トラック

https://nosweb.jp/articles/detail/140



 現在ではトヨタに商用トラックのイメージは希薄だが、もともとは他のメーカーと同じようにドル箱商品。1935年8月には国の要請を受けて完成させたトヨダG1型トラックを皮切りに、戦前戦中にかけてGA型、GB型、KB型、KC型と改良型を製作・販売した。
 戦争直後は米軍トラックの修理などを請け負いながら47年にS型エンジン搭載のSB型トラックを開発。50年におきた朝鮮戦争によるBM型トラックの特需で開発資金のできたトヨタは52年にSG型トラックを発売する。設計の古さを指摘されていたS型エンジンから、燃費はそのままで出力が倍増したR型エンジンへと移行した57年には、トヨペットライトトラックを発売。そのトラックの愛称を変更し59年に発売されたのがスタウトだ。



トヨタ コロナマークⅡ ダブルピック

コロナマークⅡで営む珈琲店 ピックアップを大改造した移動販売車 1

https://nosweb.jp/articles/detail/519



 名古屋で、住宅や店舗の内装施工の仕事をしている小林勝久さんは、週末になると「コバレレコーヒー」の店主に変身する。自慢の愛車、コロナマークⅡダブルピックの移動販売車を運転して、奥さんの三枝子さんと一緒に、中部地方で開催されているイベント会場に出かけていくのだ。


フォード・クーリエ

苦労したことって、何にもないよ。だって壊れないんだから|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方 かたわらにクーリエがある生活

https://nosweb.jp/articles/detail/524



車体が大きくて大排気量のトラックに乗ることは、アメリカ人にとって今なお自慢の種となっている。だが1970年代初頭、小型トラックの需要が拡大し始めた時、ビッグ3の1社であるフォードは、自社で製造できない小型トラックをOEMによって揃えようとした。そしてマツダ・プロシードをベースにフォード向けに生産された小型トラックが「フォード・クーリエ」だった。当時から38年間、ずっとクーリエとともに過ごしてきた夫妻を訪ねた。


1960年式 ダイハツ ミゼット MP3前期型 1960年式 ダイハツ ミゼット MP4前期型 1962年式 ダイハツ ミゼット MP4後期

現存数3台の車体も! オーナー自慢の貴重なコレクション、ミゼットMPが並ぶ至福の空間|歴代ミゼットのガレージ

https://nosweb.jp/articles/detail/1346



ふだんの足グルマもミゼットというオーナーは、子どもの頃、家にあったミゼットとの思い出を、今も大切に胸の中にしまっている。大人になって自分でクルマが買えるようになった時、ふとしたきっかけで、そして一台目のミゼットを手に入れて以来、ミゼットへの興味はさらに募り、歴代モデルを集めることを思い立ったという。そうしてミゼットを集め始めたオーナーは元店舗として使っていた場所を改装して、ミゼットMPの保管場所として活用している。このガレージはミゼット愛にあふれた空間だ。


1961年式 トヨペット コロナライン

現存数が少ない二代目コロナ。さらに希少なピックアップボディ

https://nosweb.jp/articles/detail/1613



ブルーバードが誕生した翌年の1960年4月、コロナは初めてのモデルチェンジを断行した。その3カ月後、第2世代のコロナラインもベールを脱いだ。野暮ったかったエクステリアは躍動感あふれる洗練されたデザインに変わっている。キャビンは広く、ラゲッジルームは荷物を積みやすい。先代と同じように2ドアにテールゲートのバン(PT26V)も用意された。そして9月30日、小型トラックのコロナライン・ピックアップが発表され、その日から発売を開始する。


1966年式 ホンダ T360

ホンダ初の4輪車は、DOHCエンジンを搭載したとんでもない軽トラ

https://nosweb.jp/articles/detail/1570



創成期のホンダ車であるS500やN360のような妥協の少ないクルマ造りから考えると、このようなトンでもないトラックの登場は、奇想天外だ。しかし実際のところT360は、造ろうとしてできたクルマではなく、できちゃったクルマと言った方が正しい。当時のホンダにはトラックに利用できるエンジンが無かった。


ダイハツ・ハイゼット

歴代トラック&バン(全10世代)がずらりと並ぶ! ダイハツ・ハイゼット、60周年を記念し特設サイトオープン!

https://nosweb.jp/articles/detail/1673



ダイハツ工業の軽商用車「ハイゼット」シリーズは、2020年11月で1960年登場の初代「ハイゼット」発売以来60年を迎えた。「ハイゼット」シリーズは、農林水産業を中心に使用されている「ハイゼット トラック」、配送業や小売業などを中心に使用されている「ハイゼット カーゴ」「ハイゼット キャディー」の3モデルで構成され、これまでの累計生産台数は約740万台(ダイハツ調べ。2020年9月末時点。累計生産台数はOEM供給台数は含まずダイハツブランドのみ)に上り、現在の総保有台数は約220万台(同調べ)となり、全国で多数が愛用されている。


1968年式 日産 プリンス ライトマイラー

ボンネットがあって2トン積みも! 60年代の日産プリンスのトラック

https://nosweb.jp/articles/detail/1919



プリンスは1957年にマイラーをデビューさせ、日産は56年にジュニアを販売、トヨタは59年にスタウトを販売開始した。当時の中型トラックは、いわゆるダットラやハイラックスよりもひと回り大きく(5ナンバーフルサイズ)、積載量もダットラなどが最大で1tだったのに対し、1.5〜2tと、重量物を運ぶことができた。



1969年式 マツダ K360 1969年式 スズライト キャリイ

C10スカイラインを3台、ZやベレットGTR……行き着いたのが軽自動車

https://nosweb.jp/articles/detail/1926



福島県須賀川市で和菓子屋を営んでいるオーナー親子は、軽トラックの魅力にとりつかれている異色の親子だ。マニアから「ケサブロー」の名で親しまれているマツダK360とスズライトキャリイ、そしてバモスホンダを所有し、積極的にイベントに参加し、ときには配送にも使っている。


1972年式 バモス ホンダ

屋根もなければドアもないホンダ

https://nosweb.jp/articles/detail/1929



70年は360ccの軽自動車が史上最高の販売台数を記録した年だ。このころになると軽商用車にもしゃれっ気のあるクルマが増えてくる。その筆頭にあげられるのが、オープン軽トラックのバモスホンダだ。TN360をベースに、ルーフやドアを取り去り、フロントパネルにはスペアタイヤを埋め込むなど、レジャービークルの先駆けとなったユニークな軽商用車だった。


1959年式 ダットサン 1000 トラック

1957年にして10代目の220型、そのマイナーチェンジ版|

https://nosweb.jp/articles/detail/1989



フロントフェンダーとエンジンルームが一体となった現代的な自動車のフォルムを、ダットサントラックで初めてまとうこととなった120型。この120型のデザインを踏襲し、新開発のエンジンを載せて57年11月に発売されたのが、10代目の220型だ。それまでの直列4気筒サイドバルブ、860cc、25㎰からオースチンA50型ベースの直列4気筒OHV、988cc、34㎰へと一気にパワーアップを果たし、58年6月からはアメリカへの輸出も行われたほどだった。


1969年式 ダイハツ CM8

その昔、4/5ナンバー幅いっぱいの大きな三輪トラックがあった

https://nosweb.jp/articles/detail/2358



1954年に第1回全日本自動車ショウが開催された。この年の日本の自動車生産台数は7万台あまりで、そのうちの80%近くを商用車が占めている。4輪トラックと人気を二分していたのはオート三輪と呼ばれる3輪トラックだ。50年代半ばから神武景気の追い風を受け、右肩上がりで自動車業界は成長し小型トラックが台頭してきた。が、買い得感と機動性に勝るオート三輪の優位性はまだ揺るがない。この時期、ダイハツのオート三輪は累計生産30万台に達している。3輪トラックのパイオニアを自負するダイハツが1962年9月に送り出したのが1.5t積みのオート三輪、CM型だ。


1959年式 ヂャイアント AA26F

水平対向エンジンを搭載したオート三輪|

https://nosweb.jp/articles/detail/2451



愛らしい外観と使いやすさを兼ね備えた軽自動車「コニー」や「グッピー」を生産していたことで知られる愛知機械工業。その当時、オート三輪を「ヂャイアント」の車名で販売していた。ユニークなデザインと機構を持つ、実用性の高いトラックだった。


1961年式 トヨペット クラウン ピックアップ

オーナーの誕生日から始まった物語

https://nosweb.jp/articles/detail/2442



ここで紹介する左ハンドルの初代クラウンピックアップ「トヨロッド」は、本誌VOL.005で紹介したムーンアイズ製作による初代クラウンセダン「観音V8」の世界観を踏襲して仕上げられた、本格的なホットロッドだ。


1971年式 ダイムラー メルセデス・ベンツ ウニモグ

世界中でこのクルマが通れない道はない!? 原動機付き多目的動力装置!

https://nosweb.jp/articles/detail/2655



ウニモグは、1950年秋にダイムラー・ベンツ社に移管。1953年からは「スリーポインテッド・スター」エンブレムが付いたダイムラー・ベンツ ウニモグとして市場に供給されるようになった。55年からはドイツ軍がウニモグS型(404シリーズ)を採用。市場のニーズが多様化してきたことから61年に大型の406シリーズが登場。さらにさまざまな作業が可能となったウニモグは新たに「オールラウンドプレイヤー」と呼ばれるようになった。その後も多様化は継続、現在も唯一無二の多目的動力装置として販売されている。


1962年式 東急 くろがねベビー

そこが開くのっ!? ドアも荷台のあおりも開き方がユニークっ!

https://nosweb.jp/articles/detail/2649



戦前期から「くろがね」の名を冠するオート三輪や軍用車の開発、製造を行い、名車を世に送り出してきた日本内燃機株式会社。しかし戦後は衰退の一途をたどり、1962年には倒産へと追い込まれてしまう。その晩年、再起への一瞬の光明として送り出されたのがくろがねベビーだ。


1982年式 日産 ジュニア

80年代でこのルックス! 2t積みトラックのロングセラー

https://nosweb.jp/articles/detail/2652



日産自動車は1950年代中盤からニッサン大型トラックとダットサン小型トラックを展開。その後、大型と小型の間に位置する中型トラックの開発に着手。最大積載量を1.75tとし、排気量1.5Lの1H型エンジンを搭載した新型モデルの生産を開始した。車名は従業員から募集して「ジュニア」と決まり、1956年10月に1号車が工場からラインオフ。丸形2灯ヘッドライトのフロントフェイスを持つ、初代ニッサンジュニアが誕生した。


1970年式トヨペット クラウン ピックアップ

すべてのカスタムに理由がある。芸術的かつ機能的なV8ピックアップ

https://nosweb.jp/articles/detail/2729



クラウンピックアップのオーナーが、幼い頃からのアメ車への憧れとトラック好きであることを1つにした「クラウンV8載せ換え計画」を思いついたのは、今から19年も前のこと。そして、当時からカスタム車両の製作において定評のあった千葉県山武市にある「アート・オブ・ワーク」の門を叩いた。ただし、今も昔も依頼が後を絶たないお店だけに、実際のプロジェクトがスタートするまでに5年もの時間を要したという。

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