スカイラインに直列6気筒エンジンが積まれるのは、ちょっとした運命のいたずらだった|スカイラインは4気筒か6気筒か? Vol.1

ダウンサイジングがなされた2代目S50の主役は4気筒。

       
スカイラインといえば、ハコスカGT-Rに代表される6気筒スポーツモデルが頭に浮かぶが、S50の時代までは4気筒が主役だった。もし第1回日本グランプリの惨敗がなければ、スカイラインは違った道を進んでいたのかもしれない。

【スカイラインは4気筒か6気筒か? Vol.1】

 後にプリンス自動車を名乗る富士精密工業は、トヨタや日産、いすゞなどより後発の自動車メーカーだったためライバルを超えるパフォーマンスと高い品質、優れた快適性、耐久性にこだわってクルマを開発した。この伝統と設計思想は、歴代のスカイラインやグロリアに息づいている。

 ご存じのように、スカイラインは第2世代のS50までは直列4気筒エンジンが主役だった。2代目はオーナーカー、小型ファミリーカーへと転換を図り、ボディとエンジンのダウンサイジングも行っている。1.9Lに引き上げたエンジンは、再び1.5Lの直列4気筒に戻された。海外を見ても、この排気量で6気筒などのマルチシリンダーはほとんど存在しない。

 スカイラインに直列6気筒エンジンが積まれるのは、ちょっとした運命のいたずらだった。もし第1回日本グランプリで惨敗しなければ、スカイラインは違う道を歩み、小型ファミリーカーのまま終わったかもしれない。


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 1963年5月の第1回日本グランプリがスカイライン・スポーツのサーキットデビューである。プライベートユーザー支援の形でスカイラインを送り込んだ。だが、レギュレーションを忠実に守ったため、ほとんど手を入れなかった。当然、レースではライバルの後塵を拝し、惨敗を喫したのである。

 この苦い経験が飛躍の起爆剤となり、汚名を晴らし、勝つことに執念を燃やすようになった。1964年の第2回日本グランプリを制するためにプリンス自動車が開発し、送り出したのがスカイラインGTだ。S50スカイライン1500のボンネットを延ばし、ここにグロリア・スーパー6のG7型2L直列6気筒SOHCエンジンを押し込んだのである。今なら、さしずめ限定販売のエボリューションモデルだろう。

 とにかく急ピッチで100台だけ生産し、サーキットに送り込んだ。突如、最新鋭のポルシェ904GTSがエントリーしてきたからレースはドラマチックになった。雨の予選でスカイラインGTはポールポジションを奪い、決勝レースでも一度はトップに立つなど大健闘している。このレースでの活躍によって、日本車の中で最高のスポーツセダンとして認知され、神話の扉を開いた。

 が、1965年にカタログモデルとなった2000GT(後のGT‐B)はもちろん、シングルキャブ仕様のGT‐Aも一般のユーザーには縁遠い存在である。特殊なカーマニアだけの特殊なクルマと見られ、運転にはそれなりのテクニックが必要だった。しかも販売価格も驚くほど高かったため、ほとんどの人は目を向けていない。




クロスフローレイアウトのG15型直列4気筒SOHCエンジンを搭載した1500デラックス。G7型直列6気筒のレース用エンジンから生まれた素性のいい4気筒で、同クラスのライバルを圧倒した。






グロリアのスーパー6に積まれてデビューしたG7型直列6気筒SOHCエンジン。パワーを出したい、という理由でスカイラインの鼻を延ばし、無理やり搭載された。当然、フロントヘビーでじゃじゃ馬な性格になっている。


【2】に続く

初出:Nostalgic Hero 2016年 2月号 vol.173(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

スカイラインは4気筒か6気筒か?(全3記事)

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Photo : KAZUHISA MASUDA/益田和久

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