ついに登場、ターボラリーカー「ランサーターボ」が戦力分布を一新|国内モータースポーツの興亡 ラリー編 Vol.5

発売の翌年、1982年には全日本ラリー選手権において、主力車両の座に就いていたランサーEXターボ。なかでも山内伸弥、大庭誠介(写真)を擁したアドバンチームは常に最上位に位置していた。

       
量産車を使うモータースポーツは、改造規定が厳しく制限されるほど、生産車の持つ基本性能が重要になってくる。排ガス対策期を乗り切った80年代の高性能量産車は、日本のモータースポーツを発展させる原動力となっていた。中でもノーマル車をベースとした競技で、その中核をになったラリーを振り返る。

【国内モータースポーツの興亡 ラリー編 Vol.5】

【4】から続く

 1979年、セドリック/グロリアというフォーマルセダンに搭載されて登場したターボシステムは、またたく間に多くの車種で採用される展開を見せ、すでにそれほど特殊なメカニズムではなくなっていた。実際、1981年にジェミニでシリーズチャンピオンを獲得したアドバンチームも、シグマターボを試験的に投入(大庭誠介)するなど、その可能性について積極的に探る姿勢を見せていた。

 こうした流れの中にあった1981年11月、三菱からランサーEXシリーズのトップパフォーマンスモデルとして、G62B型1.8Lエンジンにターボチャージャーを装着したランサーEXターボが追加された。


【画像12枚】それまでもランサーEXで使われた1.8L SOHCエンジンにターボを装着。これで135ps/20kg-mのパワー/トルクを発生したG62B型ターボエンジンなど


 車両自体は、ランサーの2世代目となるランサーEXそのものだったが、エンジンは同シリーズの最大排気量版だったG62B型1.8Lにターボチャージャーを装着したことで、135psにまで高められていた。しかし、過給効果は出力よりトルク特性に如実に表れていた。3500rpsで20 kg‐mの最大値は、多用する中速回転域で2Lオーバーのエンジンと同等の性能を持っていたことになる(この時代自然吸気で20 kg‐mのトルクを得るには2.2~2.3Lの排気量が必要だった)。


 サーキットレースと異なり、中速回転域を多用するラリーでは、ランサーEXターボが持つエンジン特性は、ジェミニ、TE71勢といった自然吸気エンジン搭載車両にとって大きな脅威となったわけである。

 実際、1982年シーズンが始まってみると、驚くことにTE71勢の大半がランサーEXターボに乗り換えていたのである。戦力構図はジェミニ対TE71からランサー対ジェミニに。そしてG181W型が2T‐G型を圧倒したように、今度はG62B型ターボがG181W型を圧倒する戦いに変わっていた。

 しかし、おもしろいものでランサーEX勢は、かつてTE71勢が多数派となったことで獲得ポイントが分散したのと同じ状況となる。ポイントリーダーの神岡政夫が、孤軍奮闘するチームいすゞの杉山正美ジェミニにポイントで並ばれ、有効ポイント制によりかろうじてタイトルを獲得するという事態となっていた。

 だが、ジェミニの抵抗もこのシーズンまで。翌1983年はアドバンチームの山内伸弥が安定した戦績でシリーズを席捲。そしてこの年の11月には、性能強化版となるインタークーラー装着モデルに進化。

 ターボエンジンが吸気温度の管理をしっかり行うとどうなるかを示した典型的なモデルで、前仕様に対してパワーで25 ps、トルクで2kg‐mアップの160ps/22.0kg‐mの性能レベルにまで引き上げられていた。

 時代はターボパワー、ターボトルク。こんなことを実感させる戦績が残されるようになっていた。(敬称略)




一躍ラリーベースカーの中でトップパフォーマンスと皆が認めることになり、有力ラリーストの多くが選択。全日本ラリー選手権を席捲した。



初出:ハチマルヒーロー 2014年 05月号 vol.25(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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text & photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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