年々厳しくなる排ガス規制下で、DOHCを守り続けた「トヨタ」|国内モータースポーツの興亡 ラリー編 Vol.2

1979年3月、5年間ぶりにカローラ/スプリンターの30系/40系のシャシーが70系にフルチェンジし70系となった。

       
量産車を使うモータースポーツは、改造規定が厳しく制限されるほど、生産車の持つ基本性能が重要になってくる。排ガス対策期を乗り切った80年代の高性能量産車は、日本のモータースポーツを発展させる原動力となっていた。中でもノーマル車をベースとした競技で、その中核をになったラリーを振り返る。

【国内モータースポーツの興亡 ラリー編 Vol.2】

【1】から続く

 1979年10月に登場した430セドリック/グロリア・ターボは、ターボチャージャーという国産車初のメカニズムを採用したことで大きな注目を集める結果となったが、高性能エンジンという意味では、実はトヨタが日産を1歩リードする立場にあった。

 トヨタの高性能エンジンといえば、70年代初頭に相次いで登場した1.6Lの2T‐G型と2Lの18R‐G型だが、この2種のエンジンは排ガス対策のデバイスを装着したりレギュラーガソリン化によって、各排ガス規制値に対応。18 R‐G型はセリカやコロナのトップモデルに積まれ、4段階の排ガス規制値すべてをクリアすることで排ガス対策期を生き延びることに成功。この時代を生き抜いた高性能エンジンとして希有な存在となっていた。

 一方の2T‐G型は、昭和50年規制と初期の段階で対応できなくなり、いったん生産を中止(1975年11月、TE37レビン/TE47トレノ)しているが、酸化触媒の開発と電子制御燃料噴射化(EFI)により51年規制をクリア。77年1月にTE51レビン/TE61トレノという形で復活。さらに翌78年4月には、新たに開発された三元触媒により昭和53年規制もクリア。TE55レビン/TE65トレノとして時代に応じた進歩を遂げて登場した。


【画像12枚】トヨタ車らしく素直な操縦性による運動性能の高さに特徴があった70系カローラ/スプリンターなど

 そして1979年3月、排ガス対策の影響もあってほぼ5年間使い続けたカローラ/スプリンターの30系/40系のシャシーが70系にフルチェンジ。すっきりと贅肉を削ぎ落としたモノコックボディとなり、リアサスペンションがセリカ/カリーナ系で定評のあった5リンクコイル式に変更され、スポーツカーとしての基本性能を大幅に引き上げたモデルとして登場。

 排ガス対策にエネルギーを割かれることもなく、久しぶりに性能やデザインに本来の開発力が注がれた魅力あるモデルとして仕上がっていた。また、これまでカローラ/スプリンター系での2T‐G型搭載車は、クーペボディのレビン/トレノに限定されていたが、70系では3ドアクーペをレビン/トレノとする以外に、4ドアセダン、2ドアHT、3ドアリフトバックの3ボディにも2T‐G型を搭載。1600GTのグレード名を与え、高性能DOHCエンジンの普及を意図していた。



ノーマルエンジンを前提に1979年から全日本ラリー選手権が始まった。基本性能に優れたTE71系は、車体剛性とハンドリングの微妙な違いから3ドアクーペ、2ドアHT、4ドアセダンの中から各ドライバーが好みで選択していた。写真は3ドアクーペのレビンをチョイスしていた竹平素信車。




70年代中後半、排ガス規制対策期のラリー活動を支えたのは、実はフルチューンエンジンを搭載した車両で、その主力は2T-G型搭載車だった。国内戦でもTE27レビン、TE37レビンを使った竹平素信はTE27レビンで英RACラリーにも参戦した。



【3】【4】【5】に続く


初出:ハチマルヒーロー 2014年 05月号 vol.25(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

国内モータースポーツの興亡 ラリー編(全5記事)

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text & photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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