「5年間手塩にかけたAE86とそのまま等価交換したんですよ」。子どもの頃からあこがれていた、忘れられないカローラ|1973年式 トヨタ カローラ Vol.1

左ハンドルだがJDMレビン仕様となっているヌグさんの73年式トヨタ・カローラ。

       
カーショーなどに展示するクルマの場合、その仕上がりの程度を表す言葉として「コンクール・コンディション」という表現がよく使われる。しかしこのコンディションに基準があるわけでなく、だれもが認めればOKという、あいまいなものとなっている。ただし「だれにも認めてもらう」というハードルはとても高いのも事実。左の写真にあるボディがカサカサのカローラを、上のピカピカの姿によみがえらせたオーナーの物語をお届けする。

【1973年式 トヨタ カローラ Vol.1】

自分にとってのドリームカー

 旧車の魅力って何だろう。そう問われたときに、あなたはこう答えるかもしれない。たたずむ姿、エンジンの音、体に伝わる振動、内装のにおいと肌への感触。どの一面を切り取ってみたって魅力がぎっしり詰まっている、と。やはり旧車はすべてが魅力なのだ。

 サンフランシスコから近いカリフォルニア州サンマテオ市に住むパトリック・ヌグさんは、1973年式トヨタ・カローラのオーナー。ヌグさんの旧車の楽しみ方は、そのバランスが珍しい方向へ偏っていた。「自分の目を楽しませるために」ということのみが、旧車オーナーとしての目的のすべてだ。


【画像12枚】決して良好とはいえなかった、12年前、友人から車両を引き取ったときの状態など


 走らせるためではなく、最高に美しいその姿を見るために。徹底したトヨタファンのヌグさんは、まずAE86に手を染めた。1998年、手に入れた1台のドレスアップを始めると作業は次第に熱を帯び、でかけるショーのたびに必ずどこかを変えてみるという実験を何度も繰り返して、徐々に完璧な姿へと近づけていった。ところが、それを5年間続けたあるとき、このクルマはもう完成した、と感じたのだという。

「それ以上良くできないというんじゃなくて、自分の作品としてもう完成した、ということ。自分はこのクルマに対してどうやら年を食い過ぎている、もしくはこのクルマは自分には若すぎる、そんな感覚でした。もっとハードルの高い、別の新たな挑戦が必要だった」

 自分への挑戦を思い出すかのような口調でヌグさんは言葉に表した。

 フィリピンで生まれ育ったヌグさんにとって、子供の頃に見たトヨタの姿は、忘れることのできないカッコ良さ。

「それはTE27でした。ほかのクルマなんて全然目に入らなかった」

 目に焼き付いているあの姿をもう一度見たい。1986年、アメリカへ移住してからもそう夢を見続けた。それゆえ、目指すターゲットは常にTE27だった。
そしてそれは2003年のこと。ついに機会が巡ってきた。トヨタを通じて知り合ったアントニオ・アルベンディアさんが、朽ちたTE27があると連絡してきた。この天命のようなタイミングの良い出合いに、ヌグさんは無我夢中で思い切ったオファーを申し出た。

「5年間手塩にかけたAE86とそのまま等価交換したんですよ。だってTE27はずっと私のドリームカーだったから。傷んだ個体だったけれど、この機会に一から自分の思い通りに作り上げてみようと思った。そのために研究もずいぶんしたし、日本からパーツもたくさん買い入れました」

 車両の届いたその日から、2年間の時間と並々ならぬ費用をかけたレストア作業。自分の目を満足させる姿に仕上がった鮮やかなオレンジ色のTE27は、2006年、ロサンゼルスに近いロングビーチで行われたトヨタフェスタにおいて、晴れのデビューを飾ったのだった。



鮮やかなオレンジのボディが、屋外で目を引くパトリック・ヌグさんの73年式トヨタ・カローラ。左ハンドルだがJDMレビン仕様にしている。2代目カローラの2ドアクーペは、アメリカのファンの間では「マンゴー」という愛称で呼ばれている。対して2ドアセダンは「ピーナッツ」と呼ばれる。元々はフィリピンで始まった愛称で、屋根からテールにかけての形状を比喩したものなのだそうだ。
 



【2】【3】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 08月号 vol.170(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1973年式 トヨタ カローラ(全3記事)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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