ランチア・デルタに対抗できた唯一の存在。|トヨタ セリカ GT-FOUR Gr.A for WRC Vol.3

公表値295ps/6000rpm、38.0kg-m/4400rpmの3S-GTE型エンジン。リストリクターで吸入空気量が制限されるため、グループAラリーカーのパワーは思いのほか高くない。チューニングの狙いは中速トルクの大幅強化。最終期のWRカーでは優に50kg-mを超していた。

       
1960年代前半からサファリに本格参戦を始めた日産に比べ、トヨタによる体系立ったラリー活動はほとんど見られなかった。しかし、70年代中盤にTTE(トヨタチームヨーロッパ)が設立されてオベ・アンダーソンが代表に就くと、トヨタのラリー活動は一気に本格化。日本メーカー初のWRCレギュラー参戦を果たし、王座に君臨するラリーの名門ランチアと死闘を演じた末にタイトルを獲得。立役者となったのはターボ4WDのグループA、セリカGT-FOURだった。

【トヨタ セリカ GT-FOUR Gr.A for WRC Vol.3】【2】から続く

 日本製4WDに関しては、グループB時代の1986年にマツダが323(ファミリア4WD)を投入していたが、グループA時代になると1.8Lの排気量はハンディとなっていた。デルタと互角に戦える2Lターボエンジンを持つ4WDカーはセリカ(ST165)以外になく、実際、歴代セリカを使ってWRCを戦ってきたTTEには、ラリー参戦に関する継続的なノウハウもあって、デルタに対抗できる唯一の存在になっていた。

 TTEの強みは、70年代中盤からヨーロッパで活動を続けてきたことで、ラリー界に完全に溶け込む存在だったことだ。新たにターボ4WDを得てWRCへの参戦を試みようとする新参メーカーの立場ではなく、すでにWRCメンバーの一員として最先端の情報や人材を有していたことで、チームのコンディションは常に第一線級の戦闘力を保つ状態にあった。 実際のところ、グループA規定導入直後はグループB時代からターボ4WDのノウハウを持ち、企業一丸となってWRCに臨むランチアに分はあったが、実戦を経ることでTTEはグループAラリーカーのノウハウを積み重ね、最終的にはベース車両となる量産車のメカニズムや基本構造を、グループAに適合した仕様とするようトヨタに働きかける存在にもなっていた。


【画像11枚】炎天下のサファリ、ターボカーという組み合わせが必要とさせる、タンク吐出口直後に燃料冷却用のクーリングファンが設けられているリアラゲッジルームに設置された燃料タンクなど




リアラゲッジルームに設置された燃料タンク。おもしろいのはタンク吐出口直後に燃料冷却用のクーリングファンが設けられていること。炎天下のサファリ、ターボカー、こうした状況を考えると燃料のベーパーロックも当然のごとく起こるのだろう。



トヨタがWRCで勝てるようになったのはTA64の時代(1980年代中盤)。そしてWRCへのレギュラー参戦を開始してシリーズタイトルを争うようになったのは、このST165の時代から。今回紹介する車両は1990年のサファリラリー優勝車、B・ワルデガルド/F・ギャラハー組のセリカGT-FOURだ。
 

【4】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 08月号 vol.170(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

トヨタ セリカ GT-FOUR Gr.A for WRC(全4記事)

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text : DAISUKE ISHIKAWA/石川大輔 photo : MOTOSUKE FUJII(SALUTE)/藤井元輔(サルーテ)

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