創設40周年の節目で迎えた、童夢の「終わりと始まり」|童夢創設40周年 Vol.1

童夢が世界的に知られるきっかけとなった童夢 零も展示され、セレモニーに花を添えていた。

       
【童夢創設40周年 Vol.1(ふりかえり記事)】

終わりと始まりという意味深長な命名で、童夢設立40周年(2015年10月号当時)、林みのるさんの現役引退のセレモニーが開かれた。そして予想通り(?)破天荒な祝いの会だった。

 童夢創設40年、そしてこれまで童夢を率いてきた林みのるさんの引退セレモニーが、7月15日、林さんと童夢のお膝元である祇園祭真っ最中の京都で開かれた。

 ホテルのバンケットルームをいくつか借り切ったセレモニーは、会場内に先斗町や祇園町を設け、そこに舞妓や芸妓のお姐さん方を配してもてなすという、いかにも京都の「遊び人」らしい林さんの嗜好が生かされた華やかな演出だった。

先斗町や祇園町などを設け舞妓さん、芸妓さんを準備してのおもてなしのようすなど【写真7枚】

 さらに広い交友関係を示すように、レース界、自動車業界から多数の関係者が顔を連ねていたことに加え、各界からも著名人が訪れるという盛大な規模のものだった。

 依然として血気盛んな林さんの引退という事態は、聞かされた側は一様に大きな驚きと受け取っていたようだが、そこはよくしたもので、そのうち何か始めるのではないかという憶測が多数を占めていた。


 セレモニーは、ご本人の創作活動の始まりから童夢の創設、そしてレース、スーパースポーツカーの開発などを経て現在にいたるまでの活動が紹介され、これまで童夢に貢献のあった方々に対し、シリアルナンバー入りの記念腕時計が贈られるひと幕もあった。

 また、京都出身で古くから林さんや童夢と密接な関係を持ち、2015年5月に亡くなった松本恵二さんの追悼セレモニーも設けられ、松本さんの活動が日本のモータースポーツ史とまるっきり重なっていることが改めて示されていた。

 印象深かったのは、ご自身がこれまでの活動を振り返り「これ以下では不満足、これ以上は無理」と述べたことだった。ほどほどの手応えと自信、しかし完全ではないという、したたかでバイタリティーを感じさせるコメントだった。




自身の足取りを振り返り「それ以下でもなくそれ以上でもない」と実にうまい表現をとった林さん。「現役引退」を信じる者は多くない。





童夢発展の過程で、童夢に対して貢献のあった人物に対し、林みのるさんから感謝の辞と記念のシリアルナンバー入り腕時計が贈られた。


【2】に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 10月号 vol.171(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

童夢創設40周年(全2記事)

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Text & Photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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