【8】R380、長距離耐久レースにおける2リッタープロトタイプとしての完成型へ|最強のレース組織 日産ワークスの歩み Vol.8

R380最後のレースとなったのは1970年9月の富士インターナショナル・ゴールデンレースだった。すでに開発も終了した段階で、世界のスポーツカーレースは3リッタープロトタイプ/5リッタースポーツの時代に突入。2リッタープロトタイプの存在意義は薄れていた。


 第5回日本グランプリで自信を深めたR380が目指したものは、長距離耐久レースにおける2リッタープロトタイプとしての完成型だった。富士スピードウェイにおける500km規模のスピードレースでは、すでにポルシェと互角かそれ以上という自信を持っていたが、1000kmとか12時間、24時間といった長丁場のレースは一度も体験したことがなく、これがR380の盲点となっていた。こうしたことは、当のR380陣営も自覚していたようで、この年から富士1000km、鈴鹿1000kmといった国内の名だたる長距離耐久レースにも積極的に参戦する姿勢を見せていた。


 一方、グランプリの走行結果から得られたデータを基に、以下のような改良のプログラムが考えられていた。1.最高速度の引き上げ、2.エンジン出力の向上、3.ヘッドライトの照度アップ。基本的にはグランプリ参加時の状態で、R380の熟成作業は大半が終了したものと思われていたが、鈴鹿サーキットに持ち込んでのテストで、新たにオーバーヒートの問題が浮かび上がってきたのだ。富士に比べて中速域が多く、しかもエンジン回転の高い領域を多用するコース特性が影響して、これまでの冷却容量や対策では、追いつかなくなっていたのである。


 そして、さらに深刻だったのは、黒沢元治が指摘した「フレーム剛性不足」の問題だった。左右の旋回Gが大きくかかる鈴鹿では顕著に表れ、このままでは所期の戦闘力が得られない、という結論にまで達していた。本来は新しいフレームを設計して対応すべき問題だったが、すでに現行型を熟成させることでプロジェクトの基本路線が決められていたR380では、重量増加を覚悟の上でフレームの強化を図る手段が残された最善の選択肢となっていた。

R380 レーシングカー
長距離耐久を目指して開発が続けられたR380は念願の海外レースに遠征。1969年のサーファーズパ
ラダイス6時間を高橋/砂子組、北野/黒沢組(写真)が1-2フィニッシュで席捲。R381と同サイ
ズのタイヤを履くリアビューがたくましい。


 最高速度の引き上げに関しては、3型のカウル形状が正否双方の結果をもたらしていただけに、2型以降の改善実績も参考に、新たなカウル形状の開発に手がつけられていた。同時にライトの照度アップの問題にも対応した結果、デュアルヘッドライトを持つ3型改が誕生することになったのである。3型改は1968年10月のNETスピードカップに3型とともにデビュー。3型改3台、3型1台による参戦だったが、よく見ると3型改に2つの形があり、形状違いを走らせることで、さまざまなデータを集めようとするR380陣営の動きが表れていた。

 結果は、格上のローラT70、トヨタ7に次ぐ3位以下を占め、改めてR380が持つ能力の高さを示すことになったが、なにより3型改が高速性能に優れることが確かめられ、開発陣にとって大きな収穫となっていた。

R380 レーシングカー サーキット
サーファーズパラダイス6時間レースのスタート。2台のR380の間にわずかに見えるマシンが5リッ
ターエンジンを積む地元のグループ7カーのマティッチ。R380よりラップタイムは若干速かった。


 すでに同クラスのライバルが見あたらなくなっていたR380にとって、最後の晴れ舞台となったのは1969年11月のサーファーズパライダイス6時間レース(オーストラリア)だった。日産の純レーシングカーにとって初となる海外レースは、R380にふさわしい6時間耐久レースで、地元のグループ7カーを相手に戦う舞台設定となっていた。しかし、全開走行を長時間維持できるR380の信頼性は、ライバルたちに自己破綻を誘発させ、気がつけば6時間レースのゴールを1、2フィニッシュする余裕をもっていた。

 ポルシェに敗れ「速いマシン」を目指して開発が始まったR380は、気がつけば負けない「強いマシン」として完成型にまで登り詰めていた。諸々の事情により、世界にはばたくチャンスは奪われてしまったが、世界最強の2リッタープロトタイプの称号は、間違いなくこのクルマに与えられるべきものだと今も信じている。

レーシングカー R380 サーキット
ビッグマシンによる活動の中止が発表された1970年7月以降も、R380はサーキットに姿を見せてい
た。写真は北海道スピードウェイのオープン記念イベント(7月)のもの。イギリス風に言うパークサ
ーキットと本格プロトタイプレーシングカーR380の組み合わせがなんとも妙だ。



掲載:ノスタルジックヒーロー2011年10月号 Vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text&photo:Akihiko Ouchi/大内明彦 cooperation:Nissan Motor Co.,Ltd./日産自動車

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