「オーストラリアなどからも問い合わせがあります」日本旧車に興味を持つ人が増加|JDMレジェンズ  Vol.4

ショップは市内の工業地域の一角にあり、その外観はきわめて質素。ショールームなどはなく、壁に掲げられた看板がなければ、ここが旧車ショップであることはまったく分からない。この地の標高は1300m。「ショップでキャブを調整してクルマを出荷しても、引き取り先でキャブの調子がよくないと言われることもありました。先方の標高がゼロに近かったんですね」とビゼックさん。

       
【JDMレジェンズ  Vol.4】

【3】から続く

 「輸入を始めた最初のころは何もかも手探りで、失敗も多かった。日本で行われる旧車オークションで、アメリカにいながらにして品物を見切るのは難しいから」。

 当初の苦労話の1つをそう振り返ったビゼックさん。

「以前はショップでメカニックを雇ったこともありますが、自分の気に入るようにクルマを仕上げたいと思うようになり、今は1人でやっています」。

 言葉を続けてショップの様子を説明。集中しても1カ月以上かかることが多いというオーバーホールも、自分だけが頼りの孤独な作業だ。時々仕上がりの近くなったクルマに、2人の子供を乗せて小学校まで送って行ったりもする。ハコスカなどは特に2人が喜ぶそうだ。半面、ビゼックさんにとって一番つらいのは、仕入れてくるクルマをすべて好きになってしまうこと。

「感傷的になって、仕上げたクルマをショップから出してやることが気持ち的にできなくなってしまう。もちろんそれでは商売にならないから、クルマにはできるだけ感情移入をしないように心がけています」。

 純粋に好きだからという気持ちで乗り始めたクルマを、職業にする難しさの心のうちをそう語った。そんな心の葛藤を知る由もなく、日本旧車に興味を持つ世界中のファンがインターネットを通じて連絡を取ってくる。

「オーストラリアなど英語圏の国からも問い合わせがあります。言葉の問題を抱えながら日本のショップに相談するよりも、英語で取引をする方が確実だと思うからなのでしょうか……。でもさすがに輸出までは手が回らないので、今のところ断っていますが」。

 ビゼックさんは自分が敬意を持って日本旧車に接し、全力を尽くしてレストアし、旧車の維持に貢献していくことを、自らの誇りとしている。そうして仕上げたクルマを受け取ることになる日本旧車ファンの顧客が、たとえ日本にいるファンの人たちとは言葉が通じなくとも、同じクルマを愛しているという気持ちがみんなの心の絆を結びつけているのです、と強調した。

 生まれ故郷を離れた日本旧車が、行き着いた現地で健全に維持されることで、これまで伝説だけを耳にしていた人たちも実車の姿を間近で見て感激し、興奮し、驚喜する。そうなる日は世界各地で着々と近づいている。


奇妙なエンジンが搭載された1968年式510など【写真13枚】




ボディワーク以外の作業はすべて自身のショップ内でできるそうだが、エンジンのオーバーホールに関しては最近では専門店に任せることが多くなっている。届いたばかりのL型エンジンが、まだ箱に入れられたままでショップ内に置いてあった。これは、青いZに積まれる予定のエンジンだ。





リフトに上げられていた1968年式510は内装もすべて剥がされていた。ただフロントにだけ、奇妙なエンジンが搭載されていた。それは、Z24型のエンジンブロックにKA24型のツインカムヘッドを乗せたものだった。「何となくL型のテイストを残したままパワーアップできるでしょ」と、ビゼックさんはその発想を説明してくれた。自然吸気で250psを絞り出すこのエンジンの、排気系の等長タコ足の部分を現在製作中で、短いパイプをそれぞれ仮溶接だけで固定してあった。



初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 06月 Vol.169 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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