好きだからやっていた。そして、アメリカでは条件付きで合法的に旧車を輸入できることを学ぶ|JDMレジェンズ  Vol.2

ダットサン620ピックアップは日常使いのショップトラックとして重宝している。ビゼックさんは「ドアよりフェンダーミラーのほうがJDM(日本国内仕様)っぽくて好きなんです」と言って、フェアレディのサイドミラーを取り付けていた。

       
【JDMレジェンズ  Vol.2】

【1】から続く

 サンフランシスコから内陸へ向かって1200km。ユタ州のこの盆地で生まれ育ったビゼックさんの、クルマとの接点は父親だった。フォード車の部品卸し業を営んでいた父親に、あちこちの販売店や修理工場へ部品配達に連れて行ってもらえるのが楽しかったという。そんな小、中学生のときにF1アメリカグランプリが近くのアリゾナ州フェニックス市へやってきた。

「ドラッグレースとかじゃなくて、むしろ小さいエンジンが高回転で回るロードレースとかのほうが好きでした」。

 耳をつんざくF1レースに連れて行ってもらったとき、子供ながらに思ったことを今でもはっきり覚えていた。初めて免許を取ると、当時仲間内ではやっていたホンダに乗り、友人と一緒になってそのクルマに手を入れ始めた。

 好きだからやっていた。ただそれだけだったのに、その改造の腕を認めてくれた人がいた。それをきっかけに、職業としてクルマの道に入る。高校を出たビゼックさんは、町の小さなチューニングショップで働き始めた。さらに4年後には、地元ソルトレイクシティーに工場を持っていたコブ・チューニング社に認められて、チューニングパーツ試作のエンジニアとして迎えられる。コブ社は日本車用のパフォーマンスパーツを作る会社だ。

「自分でクルマのことをきちんと勉強したことはなかったんです。すべて回りの人たちから教えてもらいながら学んでいきました」。

 これまでの経験を振り返ったビゼックさんは、コブ社のオーナーのトレイ・コブさんと、日本旧車に対する熱意で意気投合。すっかり仲良くなった2人は、アメリカでは条件付きで合法的に旧車を輸入できることを学ぶと、日本旧車の輸入をサイドビジネスで始めた。


長女が『スターレットは自分が乗る最初のクルマにすると言っているスターレットもショップに。旧車パーツやポスターで装飾されたショップ内の壁のようすなど【写真13枚】






横出しにしたエキゾーストパイプは「止まっていると排ガスの臭いが漂ってくるのだけが誤算だった」とのこと。




ショップの奥の一角に設置してあった小さな本棚に本誌「ノスタルジックヒーロー」が並んでいた。「クルマを仕上げるときには、ノスタルジックヒーロー誌をずいぶん参考にさせてもらっているんですよ」と、ビゼックさんが長年本誌の読者であったことを教えてくれた。

【3】【4】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 06月 Vol.169 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

JDMレジェンズ (全4記事)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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