商標権がウィリス社によって主張されランドクルーザーに!  そして3代目「40系」へ|1971年式 トヨタ ランドクルーザー  Vol.3

ジンさんは母親が神戸市出身だという日系アメリカ人。「日本語はしゃべれないけど、日本に行ったこともあるし、親戚もいますよ」と、すこし照れくさそうに早口の英語で自己紹介をした。

       
【1971年式 トヨタ ランドクルーザー  Vol.3】

【2】から続く

 朝鮮戦争が勃発。すぐに参戦したアメリカの統制下にあった日本は、物資供給基地の役目を担った。アメリカは朝鮮半島にジープを投入するため、ノックダウン生産を三菱に依頼。日本では国内用途の車両が必要になり始めると、日産と三菱がジープ型自動車を生産。これに対抗して、トヨタはBJ型ジープを製造。これがいわゆる「初代ランクル」だ。この段階ではトヨタのみがフェンダーライトを採用。命名は、当時4輪駆動車の代名詞といえた「ジープ」の名称をそのまま取ったものだった。

 1953年から本格量産されたトヨタ・ジープが、警察や消防といった官庁機関や電力会社で活躍し始めた中にあって「ランドクルーザー」と車名を変えたのは、「ジープ」という名称の商標権がウィリス社によって主張されたからだ。商業が重要視され始め、社会が次第に平和に向かって安定していった様子がこの車名変更からも見て取れる。

 1955年にランドクルーザーを引き継いだ「20系」は、デザインにグリル脇ヘッドライトを持つ本家ジープのフロントマスクの特徴を採用し、ここに後のランドクルーザーの姿が明確となった。

 3代目にあたる「40系」は1960年、20系の絶大な人気を引き継ぐ形で発売され、次の70系が登場するまでの24年間という長期にわたってランドクルーザー人気を支えた。2006年にはそのFJ40のデザインをモチーフとした「FJクルーザー」が発売されたことで、ランドクルーザーの歩んできた歴史が未来に向けて記されることとなっただけでなく、さらに昨年には70系が登場30周年を記念して期間限定復活するなど、ランクル系譜は今でも熱い。

 「『世界に通用する自動車を作りたい』という大きな夢に向かって、今ここにトヨタはその第一歩を踏み出したのである」(同出典)という言葉で語られるランドクルーザーは、戦時から復興期の動乱の時期をくぐり抜け、海外でのトヨタの名声を高めるための強力な足がかりとなり、さらには現代のアウトドアレジャービークルへの道筋を描いた、そんな「時代の目撃者」なのだ。


交換されたメーター類を除けば、かなりオリジナルに近い状態の緑色のFJ40ランドクルーザーの内装など【写真13枚】



緑色のFJ40の内装は、交換されたメーター類を除けば、かなりオリジナルに近い状態だった。それは4速のフロアシフトレバーを含め必要最低限ともいえるデザインで、ドアにも内張りなどなく鉄板むき出しの武骨さ。





緑色のFJ40ランドクルーザーは1974年式。入手前に、近所に住んでいた当時の女性オーナーに「譲ってほしい」とジンさんはずっと頼んでいた。今から2年前、そのオーナーが遠方へ引っ越す際にやむなく手放すことにしたので、ようやくジンさんの所有となった。ボディの大部分は今でもオリジナルの塗装が残るが、「そろそろ全塗装しようと思う」とのこと。

【4】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 04月 Vol.168 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1971年式 トヨタ ランドクルーザー (全4記事)

関連記事: ニッポン旧車の楽しみ方

関連記事: ランドクルーザー

text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

RECOMMENDED

RELATED

RANKING