最終目標としてル・マン24時間が見据えられていたグループCカーの開発|DENSO TOYOTA 89C-V Vol.2

リアウイングは独立マウント式。リアカウル損傷や離脱によるエアロダイナミクスへの影響を避ける方式として浸透していた手法だ。ちなみにライバル・ポルシェはリアウイング一体式のリアカウル構造を採っていた。

       
【DENSO TOYOTA 89C-V Vol.2】

【1】から続く

 過去、4気筒2.1Lターボの3S‐G型で戦う限界を痛感したトヨタが、新型グループCカーの開発に乗り出したのは、ちょうどこうした時期、1987年のことだった。もちろん最終目標としてル・マン24時間が見据えられていたことは言うまでもない。

 1986年当時、グループCカーの勢力分布はポルシェ962Cが圧倒的で、基本は1982年デビューの956と古いものの、年ごとのアップデートを積み重ねることで第一線級の戦闘力を保ち続けてきた車両である。1986年から1987年の時期に、ポルシェを想定し、これを上回るスペックで新型車両の企画を進めることは当然の手法だったが、振り返るとこの87年という年は、いかにも時期が悪かった。ジャガー、ザウバー・メルセデスの台頭によりポルシェの相対戦力が低下し、主役の新旧交代劇が始まっていたからだ。

 トヨタが新型車両を企画検討する段階で、ジャガーはNA6L V12のXJR6、メルセデスは5L V8ターボのクーロスC8という状態だったが、実戦デビューする1988年には、ジャガーは7L V12のXJR9、メルセデスは新シャシーのザウバーC9とその戦闘力を上げ、ジャガーは同年のル・マン、メルセデスは翌年のル・マンを制する性能レベルにあった。

 企画時とデビュー時で相手にする車両の基本性能が違ってきたというのは、トヨタにとってありがたくない話だったが、ポルシェ962Cの完全凌駕を目標に設計された新型グループCカーは、3.2L V8ターボエンジンにフルカーボンモノコックという最先端の内容が与えられていた。

 デビュー戦は1988年ル・マン明けとなる7月の富士500マイルレース。プロジェクトの発足から1年半を要していた。新型車両には88C‐Vのネーミングが与えられ、4気筒ターボを使う従来型の88Cと区別されていた。

 新開発の3.2LV8ターボエンジンR32V型は、実はトヨタとして初の純レーシングエンジンだった。過去3L、5Lのトヨタ7を開発してレースに臨んでいたトヨタだったが、エンジンの基本開発はヤマハが受け持ち、純トヨタ製という意味ではこのR32V型がトヨタ初の純レーシングエンジンという位置付けになっていた。

 エンジン開発にあたっては、NA/ターボ、V12、V8、V6とひととおりの仕様が検討され、耐久性、燃費、サイズ、重量などの問題を勘案した結果、3.2Lの排気量とV8のレイアウトが選ばれていた。ただ、トヨタは純レーシングエンジン開発の経験がまったくなく、理論に沿った基本設計はできてもノウハウが必要となる細部の処理で苦労したという。そしてこのあたりが、実はレーシングエンジン設計の「キモ」だったという。

 一方のシャシーは、日本製グループCカーとしては初のカーボンモノコック構造を採用。これまでの実績が高く評価された童夢との共同開発という形になったが、事実上は童夢のノウハウによって作られたシャシーだった。

 この開発タイミングは、やはり自社開発エンジンを投入しようとした日産と時期を相前後するもので、デビューはVEJ30型V8エンジン+マーチシャシーによる日産R87Eのほうが少しだけ早かったが、エンジンの基本設計に失敗し、新たにVRH35型エンジンを登場させるまで、2年近くの遠回りを余儀なくされていた。

 88C‐Vは、その構成内容から当時の最先端レベルにあるモデルと見ることはできたが、所期の性能を引き出すまでに時間を要し、なかなか結果に結びつけることができなかった。

 トヨタV8ターボCカーは、88CーV以後89C‐V、90C‐Vへと順次発展していくが、基本的には88C‐Vがベースとなっている。1990年に燃費性能対策として3.6L仕様のR36V型エンジンに積み代え、WSPC戦とル・マン、JSPC戦に投入されている。

 今回の撮影個体であるデンソー89C‐V(SARD)は、ドライバー名が小河等/パオロ・バリラと記されていたことから、1989年JSPC最終戦インターチャレンジ富士1000kmの優勝車両、デンソートヨタ89C‐Vではないかと思われる。実はデンソー89C‐Vは、翌1990年の同レースにも投入され再び優勝を果たした。このときはローランド・ラッツェンバーガー/長坂尚樹組で、エンジンは変則的にR36V型を搭載。90C‐Vのピンチヒッターとして投入された車両だった。

 89C‐Vは、1989年にミノルタ、デンソー、ティノラス、90年にデンソーが走り、通算2勝をマークしたが、いずれもデンソー車、最終富士戦だったということが印象深い。


アナログからデジタルに移行する時代のメーターパネル回り。サイドポンツーン内をエアダクトとして活用するた高くなっためベルトラインなど【写真10枚】




アナログからデジタルに移行する時代のメーターパネル回り。タコメーターはアナログ式でウォーニング関係はパイロットランプを使用。これがもう少しするとマルチファンクションディスプレイに。コクピットを構成するカーボンパネルがこの車両の近代性を示している。






キャビン直後の両サイドスペースにラジエーターを水平マウント。インタークーラーは直立マウントとなり、やはりセンターバルクヘッド直後の両サイドに左右バンク分が装備される。この写真からサイドポンツーンをエアダクトとして活用していることが分かる。


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 04月 Vol.168 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

DENSO TOYOTA 89C-V(全2記事)

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text : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo : MASAMI SATO/佐藤正巳、AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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