プリンス スカイラインGT-BとプリンスR380 タイプ1 総力戦で迫ったポルシェの後ろ姿 1

小型乗用車枠の上限排気量2000cc。自動車体系の枠組みの中で、ひとつの呪縛として生き続けた2000ccというエンジン排気量は、パフォーマンス、ステイタスの両面において、常に最高位に位置しなければならない宿命を背負わされていた。量産車の性能に絶対の自信を持つプリンスが、メーカー支援の禁止によって第1回日本グランプリに敗れた直後、次があるなら「万全の体制で臨む」と強い決意を固めたことは、同社の実状を知る者にとって想像に難くない。その思いが結実した2台が、スカイラインGT-BとR380なのだ。


 第2回日本グランプリでのグロリアとスカイライン1500は、それぞれのクラスでライバルを一蹴する強さを見せ、前年の戦いがいかに不本意であったかを証明。さらに、グランプリのメインレースにあたるGT-2クラスには、必勝を期して「スカイラインGT」を新規に作り上げるという、プリンスらしさも見せていた。

 このGT-2クラスは、上限排気量が2000ccで区切られていたが、2000ccという排気量枠自体は世界的にそれほど重要なクラスでなく、むしろ日本の事情に合ったものだった。ちなみに、2リッタークラスの最強GTカーとして知られるポルシェ911は、1964年が量産デビューで、第2回日本グランプリの企画・構想時には、まだこの世に存在していなかった。

 さらに、近代高性能ツーリングカーの原点として、また、歴代スカイラインの開発陣が常に標榜してきたBMWは、この時点で「ノイエクラッセ」の1600と1800の2モデルが存在する段階で、ヨーロッパツーリングカー選手権で大暴れした2000系シリーズは、やはりまだ世に送り出されていない時期だった。


日産 プリンス スカイラインGT-B 外観 真横
1964年3月にデビューしたスカイラインGT(S54-1)は、日本グランプリで勝つことのできるマシ
ンとして開発されたと言っても過言ではない。ベースになったのはS50D-1で、そのホイールベース
を155mm、全長を200mm延長し、全高は25mm低められた(ホイールベース2590mm、全長42
25×全幅1495×全高1410mm)。その延長分のほとんどがエンジンルームの引きのばしに当てられ
ている。これはグロリア用のG7型直6エンジンを搭載するためのレイアウトで、まさにパフォーマン
ス重視の設計思想が貫かれているのだ。S50系スカイラインのホイールベースを延ばし、4気筒に代
えて直列6気筒を搭載したスカイラインGT-B。異様なほど細長く見える車体だが、フロントオーバー
ハングを短く抑えているあたりは「オッ」と思わせる。


 50系スカイラインのボディに、グロリア用直列6気筒G7型エンジンを搭載し、2リッターのツーリングカーを作り上げた手法は、破天荒ながらも、目標性能値からはクラストップに位置できるもので、プリンスはこのクルマによって、第2回日本グランプリの完全制覇のみならず、世界のトップと肩を並べることを狙っていたのではないか、と思えてくる。


日産 プリンス スカイランGT-B エンジン
グロリア用に開発されたG7型SOHCエンジンは、2リッター級エンジンの標準的な姿が4気筒OHVで
あった時代に革新的な内容を持っていた。スカイラインGT用として、長らくトップクオリティーを保
ち得たことが、このエンジンの素性の正しさを物語っている。


 少なくとも、日本国内には2リッター級で直6のSOHCのメカニズムを持つエンジンは皆無。プリンスが、パフォーマンスの点で国内最高峰に立つエンジンを、「速く走るための車両」スカイラインGTで採用してきたのは、ごく自然の成り行きというものだろう。

 公認の関係で、GTカーとして参戦したツーリングカーのスカイラインGTは、ポルシェ904の登場に意表をつかれるが、エンジニアリング的には、セダンとレーシングカーの違いは仕方なしとして、むしろ淡々とした感覚で受け止める余裕があった。


 その根拠は、量産セダンと純レーシングカーが、互角のラップタイムで走ってしまったからだ。おそらくプリンス陣営には、単純に「904のようなレーシングカーを作りたい」という技術願望と、「スカイラインGTで互角なら、純レーシングカーで勝負すれば楽勝」という交錯した思いがあったのではないか、と憶測したくなる。


 その結果が、2リットル直列6気筒による純レーシングエンジン「GR8型」の開発と、そのエンジンをミッドシップマウントする「R380」プロジェクトにつながった。言ってみれば、直列6気筒の採用は必然の選択肢。唯一無二だった、と見るのが妥当だろう。


日産 プリンス スカイラインGT-B 外観リア
スカイラインは、デビュー当時は国内では上級クラスのラグジュアリーカー的な設定のモデルだっ
た。そして1963年のモデルチェンジでS50型となるが、この時点でも基本的には上質なセダンとい
うことには変わりはなかった。しかし、GT-Bでは「速く走るための車両」という設定としており、
高出力エンジン、スポーツマフラーなど、メーカー純正のスポーツチューンが施される。これはまさ
に、日本グランプリを勝つために宿命づけられたモデルなのだ。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年8月号 Vol.146(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)





text:Akihiko Ouchi/大内明彦 photo:Masami Sato/佐藤正巳 cooperation:Nissan Motor Co.,Ltd./日産自動車

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