戦前のサーキットの観客席が当時のままの姿で残るのは世界的にもレア! 日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」跡 治水と保存の両立に向けて Vol.2

2016年5月に開催された「多摩川スピードウェイ80周年記念式典」。ホンダコレクションホールの協力で、かつてこの地を走ったカーチス号とブガッティT35Cが展示された。背後にグランドスタンド跡を臨む (C)多摩川スピードウェイ

       
日本初の常設サーキット「多摩川スピードウェイ」【1】から続く

 1936(昭和11)年、日本初の常設サーキットとして誕生した「多摩川スピードウェイ」。日中戦争から太平洋戦争へと向かう時代の中で、4輪サーキットとして活用された機会は決して多くはなかったが、その存在は日本の自動車産業やモータリゼーションにおいて重要な枠割を果たしたといっていい。

 1936年のサーキット開設に至る経緯や歴史は1回目の記事で紹介したが、実は、その歴史的意義を評価し、2016年には、開設80周年を記念した式典も開催されている。


2016年5月に行われた80周年記念式典の様子

 丸子橋付近の多摩川河川敷に残された多摩川スピードウェイのわずかな痕跡、それが石段のグランドスタンド跡だ。その跡地保存と日本のモータースポーツ黎明期の歴史的意義の研究・情報発信を目的とする任意団体「多摩川スピードウェイの会」が丁寧に働きかけを行い、その歴史遺産としての価値を神奈川県川崎市が高く評価。その結果、2016年5月、開設80周年記念のプレートが設置されることとなったのだ。


式典には福田紀彦川﨑市長(前列左)を始め、プロジェクトの中心として労を執った小林大樹さん(前列右)、日本クラシックカークラブの山本英継さん(後列左)、さらにクラシックカー愛好家として知られる堺正章さんが列席した。



戦前のサーキットの観客席が当時のままの姿で残るのは世界的にも極めて稀少な例。80周年記念式典の折に「多摩川スピードウェイの会」から川崎市に寄贈され記念プレートが埋め込まれた現存する観客席など【写真10枚】


 さらに、その式典が開催される半年ほど前の2015年11月には、多摩川スピードウェイの回顧展が東京都大田区の田園調布せせらぎ公園で開催されている。サーキットが建設されたのは川崎市側の河川敷であり、東京都大田区は直接的な関わりがあったわけではない。文字通り対岸の出来事だったわけだが、多摩川スピードウェイの歴史的価値を高く評価し、地域社会の文化振興の観点から協力を申し出たといういきさつがある。クルマを愛するものとして、自治体が公にモーターレーシングの存在を文化として認め、歴史的価値を評価し協力を申し出てくれたことは、素直にうれしい限りだ。


 2016年、5月の80周年記念プレート設置の除幕式には、福田紀彦川﨑市長を始め、プロジェクトの中心として労を執った「多摩川スピードウェイの会」副会長の小林大樹さん、日本クラシックカークラブの山本英継さん、さらにクラシックカー愛好家として知られる堺正章さんなども参加。式典にはホンダミュージアムが所蔵する、1926年式のブガッティタイプ35Cと1924年式カーチス号が彩りを添えた。共に、1936年開設の多摩川スピードウェイにとってこけら落としとなった「第一回全日本自動車競争大會」に参加した車両であり、カーチス号の製作には本田宗一郎氏が携わっていた。


 こうして「多摩川スピードウェイ」は、長い間、忘れられていたといっていい存在だったが、開設80周年を迎え、その歴史的価値が評価され、川崎市の「新多摩川プラン」では、歴史的資源として「跡地の保存」が盛り込まれることとなった。ところがそれからわずか5年しか経っていない2021年7月、突如、国土交通省から観客席跡を取り壊すと通達がなされた……。

「多摩川スピードウェイ」の跡地保存と、その歴史的意義の研究・情報発信を行う任意団体「多摩川スピードウェイの会」(会長:片山 光夫/https://www.facebook.com/TamagawaSpeedwaySociety)によれば、「多摩川河川敷の堤防強化工事を順次進めてきた国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所から、多摩川スピードウェイの跡地がある丸子橋付近(川崎市・上丸子天神町地区)について、2021年10月ごろに着工する旨、7月2日に初めて通達がなされた」とのことだ。

 この通達を受け、「多摩川スピードウェイの会」では、治水事業は公益性・流域住民の安全のため、最優先で実施されるべきものと考えているとしたうえで、「本跡地と観客席の日本の自動車産業発展における産業遺産的な重要性、さらに川崎市の行政ビジョン『川崎市新多摩川プラン』で跡地の保存が明言されていることに鑑み、観客席の保全と治水事業の「両立」を図る道を提案したいと考えている」と声明を発表。


 1936年から38年にかけて4回の「全日本自動車競争大會」が開催された多摩川スピードウェイ。第一回大会には、ホンダの創業者である本田宗一郎氏が参戦し、レースの重要性を実感するなど日本のモータリゼーション発展の礎になった歴史的資源だけに、移設や部分的に残すなど、治水と歴史資源の保存を両立させる方法が見いだされることに期待したい。

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