初めての旧車はカナダにたった1台の「スカイライン・ジャパン」|1980年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT Vol.1

       
カナダ発! ニッポン旧車の楽しみ方
【1980年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT Vol.1】


 アメリカ、カナダなどの北米では、日産&ダットサンは人気のブランドだ。510や240Zなど今なお多くの個体が残っているのは、クラシックカーファンであればご存じのことだろう。ところがその北米には日本国内で圧倒的な存在感を誇るスカイラインが正規輸入されていなかった。ないと分かれば何とか手に入れたいと思うのが人の常。今回ご登場いただくC210スカイラインのオーナーは、欲しかった「スカイライン・ジャパン」を日本から直接手に入れたのだった。

スカイラインGT‐Rへの興味

 アメリカからカナダへ、クルマで国境を越えたときには、どことなくテーマパークにでも入園するかのようで、ほかの国に入っていくという仰々しさはなかった。仲のいい両国の国境は、まるで形だけ存在するかのようだ。

 クルマは右側通行のままで、道路脇に立つ制限速度の表示が「マイル」から「キロメートル」に変わった。高速道路の道幅もわずかに狭まって、道路両側に広がるみずみずしい緑に囲まれた風景は、まるで日本のよう。むやみに飛ばしているクルマも見当たらず、高速道路には整然とクルマが流れていた。

 そんな風景の中に、本来ならば存在しないはずの日産スカイラインがあっても、ほとんど違和感を覚えなかった。

「このクルマは、カナダでたった1台のC210スカイラインです」。

 と銀色の愛車を紹介してくれたのは、オーナーのスク・オージラさんだ。

 イギリス、ロンドン出身のオージラさんは、英国車党の父親が自身でオーバーホールや改造をするほどのクルマ好き。その影響を多大に受けたという。

「スカイラインGT‐Rというクルマは、イギリスにいたころにR33を知ったのが最初でした。そのあとにR34が出たときにはイギリスでもすごいニュースになって、それでイギリスでもGT‐Rが有名になったと思います。私は映画に出てくる日本車を見たりして、そのたびにますます日本車のファンになって、いつかはGT‐Rに乗りたいと考えていました」。

 GT‐Rのトリコになった経緯をそう説明してくれたオージラさん。魅惑のR32のGT‐Rを手に入れるべく、日本のインターネットオークションで探してはビットし続けたが、4カ月間がんばっても一向に落札できないままだった。そんなとき、オージラさんはC210スカイラインに行き当たった。「ハコスカやケンメリは知っていましたが、ジャパンは知らなかった。クルマの写真を見て気に入ったのでビットをしたら、すぐに落札できたんです。それまでR32はいくらビットしても全然落とせなかったから『これもC210との縁だ』と感じました」。

 とオージラさんは、ジャパンに心を寄せた当時の気持ちを思い返した。

 2010年、東京から送られてきたスカイライン・ジャパン。実にそれがオージラさん自身にとっては、初めての旧車と接する機会となった。


エンジン停止時には6連計器のオレンジ色の針がそろって水平左方向に止まる姿が整然としていて美しい水平指針のメーターなど【写真10枚】





取り付けられたチンスポイラーによって、フロントはよりケンメリに似た雰囲気を醸し出していた。カナダでは1982年までダットサンブランドが使われていたため、理屈上は「1980年式の日産車」は存在しなかった。





4輪のオーバーフェンダーは輸入したときから付いていたそうだ。C210スカイラインのサスペンション技術は先進的だったと当時評価されたが、残念なことにこの個体のオリジナルの足回りはすでに失われていたため、S13シルビア用のパーツを使って作り直したとのこと。





「パーツがなかなか手に入らない」という証拠をオージラさんは指をさしながら1つ見せてくれた。ジャパンのリアウインドーの両脇はスリット入りの金属製トリムで飾られていたはずだったが、それが失われていた。オージラさんはこのパーツをまだ手に入れることができないため、現状ではとりあえず金属網を加工した仮部品を取り付けてあった。




【2】【3】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 02月 Vol.167 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


1980年式 日産 スカイライン ハードトップ 2000 GT(全3記事)


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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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