【1979年-1987年】6代に渡りモデルチェンジサイクルが重なったライバル|セド・グロ vs クラウン Vol.1

S110系クラウン、430セド・グロがデビュー。ここから6世代にわたって、モデルチェンジのタイミングが重なる。

       
【セド・グロ vs クラウン Vol.1】

頂点の宿命を背負ったライバル

 日本のモータリゼーションを発展させてきたクラウン。その対抗馬としてつねに先進性を追求したセドリックとグロリア。最高のパーソナルサルーンという頂点に立つことを宿命づけられた両車のライバル関係が、日本の高級車を進化させた。

 日本を代表する高級車はやはりクラウンだ。戦後の自動車メーカーは欧米メーカーと提携してノックダウン生産を行い、戦争によって後れをとった技術を吸収しようとした。その流れのなか、1955年に誕生した初代クラウンは純国産方式を選択し開発された画期的なクルマだった。日本のモータリゼーションの出発点はクラウンなのだ。

 まだ「乗用車=タクシー」と見なされていた時代に、いち早くオーナードライバー車としてデビューした初代クラウンは、乗り心地や耐久性などが高く評価されて成功を収め、国産車のベンチマーク的存在となった。以降、ペリメーターフレームを採用し「白いクラウン」のキャッチコピーで話題を呼んだ3代目など、世代を追うごとにその地位を確固たるものとした。

 そのクラウンの対抗馬がセドリックとグロリア。セドリックは日産がライセンス生産をしていたオースチンに代わる純国産車として開発したモデルで、初代は1960年にデビュー。一方グロリアは、プリンス自動車が初代スカイラインをベースに59年に発売した。セド・グロは当初、別の道を歩んでいたのだ。

 そんな両車が統合されたのは1966年の日産とプリンスの合併を経て、1971年に誕生した230からで、セドリックは3代目、グロリアは4代目にあたる。

 初代の誕生以来、クラウンとセドリック&グロリアは、お互いをライバル視しながらしのぎを削っていたが、その競争が激化したのは79年からだ。この年、両車は申し合わせたようにフルモデルチェンジを敢行し、クラウンはS110系が、セド・グロは430がデビューしたのだ。ここから6世代にわたって、モデルチェンジのタイミングが重なるという状態が続いた。


1979年-1987年 日本で初めてターボエンジンを搭載した記念すべきモデル、430セド・グロなど【写真12枚】

1979年

1979年6月  430
セドリック5代目、グロリア6代目にあたる430は日本で初めてターボエンジンを搭載した記念すべきモデルで、80年代のターボ全盛時代の火付け役となった。セドリックは縦、グロリアは横ラインのフロントグリルとなる。




1979年9月  S110
中央が尖ったフロントバンパーにサイドがつり上がったヘッドライトで「オニクラ」の愛称で親しまれた6代目。2.8L直6DOHCや2L直6ターボなど、積極的なエンジン展開が特徴。写真の2ドアハードトップはこの世代をもって消滅した。




1983年

1983年6月  Y30
日本初のV6型エンジンの搭載で注目を集めた。新世代のV G型エンジンは、走行性能だけでなく静粛性など、高級車としての基本性能をアップ。VG型の由来は“Very Good”の略という説も。





1983年8月 S120
「いつかはクラウン」のキャッチコピーが使われたのはこの7代目。日本初のスーパーチャージャー搭載モデルの設定や2LのDOHC化など、パワーユニットの高性能化に拍車がかかった。





1987年

1987年6月 Y31
後に大人気シリーズとなり、90年代のセド・グロを牽引するグランツーリスモは、この世代で初めて設定。上級車種として共通のシャシーを使うシーマが登場。当時はセドリックシーマ、グロリアシーマと呼ばれた。





1987年9月 S130
クラウン史上初めて3ナンバー専用ボディが用意された8代目。1989年にフラッグシップサルーンのセルシオが登場し、クラウンに大きな影響を与えたが、セルシオに搭載された4L V8がクラウンにも投入された。




【2】に続く



初出:ハチマルヒーロー 2013年 11月号 vol.23(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

セド・グロ vs クラウン(全2記事)

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