GC10ハコスカ。街道レーサーの運命を変えた破天荒な4ドアセダン|10/50勝を挙げた、最強GT-Rプライベーター Vol.1

予選での久保田さんの熱い走り。ところが、トラブルが発生し緊急ピットイン! あろうことか、車体の振動でセルモーターの取り付け部が割れて脱落してしまったのだ! 写真の右フロントタイヤの後ろに、外れたセルモーターが写っている。

       
【10/50を挙げた、最強GT-Rプライベーター Vol.1】

スカイラインの聖地である富士スピードウェイでGT‐Rは数々の神話と伝説を生み出した。
プライベーターの実力がすこぶる高く、何度もワークス勢を苦しめたことも語り草だ。
最強のプライベーターが遅れてやってきた久保田洋史である。
わずか数戦でメキメキと頭角を現し、ライバルからも恐れられた。
幻のGT‐R使いの、真の姿に迫ってみた!  


 小降りだった雨がどしゃ降りに変わると、長いストレートはみるみるうちに川のような状態になった。20歳を迎えたばかりの久保田洋史は、緊張と恐怖で顔がこわばっていた。1969年6月29日、午前11時25分のことである。その5分後、強い雨にもかかわらず、「富士300kmゴールデンレース大会第2戦」の火ぶたが切られた。

 前を走るGT‐Rが巻き上げる水しぶきで前が見えない。が、久保田洋史はアクセルペダルを踏み続け、一気に加速した。そして気合とともに30度バンクに飛び込んで行く。勢いよくバンクを駆け下り、ブレーキングで暴れるマシンを必死でコントロールする。しかし、その先のS字コーナーで多重クラッシュが発生し、久保田も巻き込まれそうになった。無我夢中でトヨタ1600GTの脇をすり抜け、前を行くマシンを追っていく。


 初めてのレース、しかも雨だから、思うようにマシンをコントロールできない。ヘアピンコーナーで2度もスピンを喫した。300Rの最終コーナーでも雨水に足をすくわれコースアウトする。が、必死に立て直し、ゴールを目指した。大荒れのレースでリタイアするマシンが相次ぐなか、久保田洋史は9位でチェッカーを受けている。

 久保田洋史は1949年2月に神奈川県横浜市に生まれた。物心ついたときから家にクルマがあり、しかも後にレーシングサービスワタナベをおこす渡辺俊之はいとこにあたる。運転を覚えたクルマは、父のマーキュリー。次に買ったセドリックも運転し、少しずつ自動車にのめり込んだ。


 だが、小学5年生のとき、肺結核に冒され、療養生活を送った。そのため小学校は1年遅れて卒業している。ところが、中学生のとき、また結核が再発し、秦野養護学校に入院となった。

「医者から『息子さんは長生きできないかもしれない』、と言われたので、父はボクを慰め、好きなことをやらせてくれたんですよ。秦野で療養生活しているときは、クルマを買ってくれた。免許を取ったのは16歳のときでしたね。最初の愛車はマツダのキャロルで、これを600ccにして乗っていました」

 10代の久保田洋史は、怖いもの知らずの街道レーサーだった。同年代の若者より自動車の運転歴は長く、距離もこなしているからめっぽう速い。だから運転も強引だった。18歳になると、当時、日本車として最速を誇ったスカイライン2000GT‐Bを手に入れる。これを改造し、ジムカーナなどに参戦したが、相次ぐ違反のために免許取り消しとなった。それでも友人の名を騙ってイベントに出場し、上位入賞を果たしていた、というから驚きである。

 19歳のとき、再び自動車の運転免許を取り直した。父は外車なら取り締まりも緩いだろうと考え、シボレー・インパラを買い、一緒に乗ることにしたのである。だが、久保田のモータースポーツに対する情熱は冷めることがなかった。というより、免許を失効する前より燃え上がっていったのだ。本格的なレース参戦を考えるようになり、1台のクルマに夢中になる。間もなく正式発売になるスカイライン2000GT‐Rだ。この破天荒な4ドアセダンが久保田の運命を変えた。

 (文中敬称略)

予選10番手のスターティンググリッドなど【写真17枚】


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40年前と変わらないアグレッシブな走りを見せ、ギャラリーを沸かせたゼッケン48のGT-R。当時のレーシングスーツとヘルメッ トも似合う。このスーツは久保田さんの熱狂的なファンの笹野学さんにプレゼントしたものだが、今回の撮影のため拝借した。





久保田洋史
1949年2月11日、神奈川県鶴見区平安町生まれ。小学5年生のときに結核を患い、療養中にクルマの楽しさを知る。レースデビューは1969年6月の「富士300kmゴールデンレース第2戦」で、9位完走する。走るたびに速さと安定感を身につけ、年明けの70年1月の「富士フレッシュマンレース第1戦」で念願の初優勝。その直後から日産ワークスチームの青地康雄監督や開発責任者の櫻井眞一郎らに可愛がられ、パーツなどの供給も受ける。1971年3月からハードトップGT-Rに乗り換え、3勝を上乗せして50勝のうち10勝をマーク。1973年はサニークーペ1400エクセレントやFJ1300のファルコンでもレースを行い、1974年に電撃的に引退した。


【2】【3】に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2015年 02月 Vol.167 (記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

10/50を挙げた、最強GT-Rプライベーター(全3記事)

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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明 photo : ISAO YATSUI/谷井 功、MASAMI SATO/佐藤正巳

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