マツダ787B、故郷ル・マンに帰る 2

力走を続ける787B。勝負どころは深夜だった。ペースの落ちるナイトセッションで大橋孝至はスピードアップを指示。これに応えた3人のF1ドライバーもみごとだった。結果的にこの作戦、ベンツにトラブルを誘発させたことになる。

ポルシェ962CとクラージュC28Sと787B
ヨーストのポルシェ962CとクラージュC28Sを従えてダンロップブリッジを下る787B。
長い戦いが始まった。

回想 1991年のル・マン24時間レース

 あれは何時ごろだったろうか? フォードシケインでの撮影を終え、グランドスタンド前のサービスロードを1コーナーに向かって歩き始めたときだった。なにやらスタンドが騒がしい。

 当時のブガッティサーキットは、フォードシケインにいちばん近いスタンドが「ジャガースタンド」と呼ばれ、ここから歓声が上がっていたのだ。ちなみにジャガーがスポンサードするスタンドだけあって、ここの観客は大半がイギリス人である。

 で、彼らの視線を追ってみると、力なくピットロードに滑り込んでくるザウバーメルセデスC11の姿があった。カーナンバーは1。この時点でのレースリーダーである。

ザウバーピットイン
レースリーダーの座からピットに飛び込んだザウバーメルセデスC11の1号車。このレースの決定的瞬間だった。


「こりゃ大変なことで」と対岸の火事を見るような気分で反応していたことが、自分でもおかしかったことを覚えている。残り3時間あるかないかという段階で、午後の暑さも手伝い、疲労はピークに近かった。もちろん眠いし、要は頭が回転しないのだ。

 それでも「とりあえず」と思い、ストレートをはさんでベンツのピットにカメラを向け、人だかりになっている様子を撮っていた。そんなことをしている最中に「カ~ン」と耳をつんざく4ローターサウンドを響かせながら、787Bが通り過ぎていった。

 仲間内では「サーキットの公害」で通るほど、神経と鼓膜を逆なでするマツダ787Bの高周波サウンドは、この時コンクリートフェンスを背にしていたため、より大きく反響していたはずなのだが、スタンドからそれを打ち消すぐらいの大声援が上がって驚かされた。いったい何ごと?

 振り返ると、ユニオンジャックを振っていたイギリス人が、ガッツポーズをしながらこちらに向かってなにかを叫んでいた。よく聞くと「アンタ日本人だろ、やったな!」と言っている。なんと、マツダがトップに立ってしまったのだ。

 しかし、60年代からル・マン24時間のファンを自負してきた人間にとっては、あり得ない出来事だった。ル・マンの頂は高く、しょせん歴史の浅い日本メーカーが、一朝一夕でおよぶところではない、という固定観念を持っていたからだ。

 こんな意識があったため、787Bが残り2時間半を淡々とこなし、トップでチェッカーをかいくぐったときも「アレッ、勝っちゃった」という、半信半疑の現実味のない印象になっていた。関係者の方々が実感した「苦節17年」という重みのある感慨とは、まったく異なる感情だった。

 しかし、観客席からかけられた「おめでとう、長かったね」のひと言が、現実であることを認識させてくれた。毎年、耳障りなロータリーサウンドを響かせながら、日本からル・マンに挑戦を続けるメーカーがあることを、彼らは見ていてくれたのである。

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TWRジャガーの2台を両脇に従えてのポディウム。
アンカーのハーバートは脱水症状を起こしてメディカルに。
下段には大橋孝至、J.イクス、小早川隆治らの姿も見える。


この年はNA3.5リッターの新規定Cカーとの混走に。唯一IMSA-GTPクラスからの参戦となった787Bは車両重量面などでグループCカーより優位にあった。




掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年10月号 Vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Akihiko Ouchi/大内明彦 photo:AkihikoOuchi/大内明彦、Sumiyo Ouchi/大内すみ代、MAZDA CO.,LTD/マツダ

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