1974年WRC初参戦、初優勝した車種は?|三菱4WDターボ Vol.2

WRCグループ4時代の最終盤期に投入されたランサーEX2000ターボ。アウディ・クワトロやランチア・ラリーの強豪に混じり1982年の1000湖ラリーで3位入賞を果たした。

       

スタリオンで得たノウハウが、その後の車両開発に生かされた

【三菱4WDターボ Vol.2】

【1】から続く

 日産と同じ思惑でオーストラリア・サザンクロスラリーに挑戦。ギャラン(1972年)、ランサー(1973年)で連続優勝を飾って同ラリーのステイタスを喧伝した三菱。

 日産のサファリと同格の実績としたかったように見えたが、翌1974年にWRC戦となったサファリラリーに参戦。なんとランサーがWRC初参戦、初優勝という前例のない記録を打ち立て、予想以上の効果を得ることに成功した。

 これほどの実績を挙げれば、自ずと「ラリーの三菱」という認識はついて回るようになり、三菱のラリー活動も安定的かつ継続的に行われるようになったのだ。もっとも、三菱の場合も排ガス対策期の活動自粛は避けられず、表立っての活動は手控えられたが、ランサー・セレステを使ったラリーカーやターボチャージャーの開発は行われていた。

 実はこの活動が大きく生き、80年代初頭のランサーEX2000ターボ(A175A)によるWRC参戦へと結び付いていた。しかし、折悪くグループ2/4規定が、グループA/B(82年適用、グループ2/4も併存)へと移り変わろうとしていた時期で、ランサーターボによる活動を長く続けることができなかったのである。また、グループ2/4時代ながら、すでにアウディ・クワトロ(グループ4)やランチア・ラリー037(グループB)といったラリーに特化した車両が登場し、70年代のように素性に優れた量産車がそのままラリーで通用する状況ではなくなっていたのである。やむなくグループ4ランサーに代わるグループB車両として、スタリオンベースの4WDターボを開発。これがスタリオン・グループBで、直列4気筒SOHC 2140cc(ターボ換算2996cc)、350ps/40.0kg‐m以上のエンジンを積み、3デフシステムによるフルタイム4WD方式が採用されていた。

 結果的には、その後立て続けに起きたグループBカーの死亡事故により、グループB規定そのものが消滅する事態となり、スタリオン4WDは日の目を見ることなくWRCの舞台から去っていった。しかし、ターマック/グラベルで有効な4WDシステムの基礎開発を行ったことで、ここで得たノウハウが直後に登場するグループAギャランVR‐4に生かされることになる。

 三菱がスタリオンで得た結論は明快で、もっとも効率に優れた駆動力配分は前後50対50、常時4輪に駆動力を伝える状態がベストで、同時に発生する回頭性、旋回性の問題を解決しなければならない、というものだった。これが後の三菱オリジナルテクノロジー、アクティブデフやアクティブヨーコントロールにつながっていくのである。

 その後VR‐4はひと回りコンパクトなランサーに切り替えられ、世界最強のグループAラリーカーへと段階的に進化を遂げていくが、そのネーミングが「エボリューション」だったというのがなんとも象徴的である。


74年、WRCに組み込まれることとなったサファリラリーでも優勝するなど、国際ラリー成功のステップボードとなったランサー1600GSRなど【写真8枚】





三菱ラリーの下地となったコルト11F(上)、国際ラリー成功のステップボードとなったランサー1600GSR(下)。この間にA52、A53のコルト・ギャラン活躍の時代がある。ちなみにこの時期は、国内ラリーでも三菱の台頭は著しく、後に三菱の看板となる篠塚建次郎が売り出し中だった。






80年代終盤からラリーアートヨーロッパを拠点にグループA戦線に名乗りを挙げたギャランVR-4と、VR-4の活躍を受け継いだランサー・エボリューション。当時の競合相手はランチア・デルタとトヨタ・セリカGT-FOUR。ランサーに切り替わってから戦闘力は急速に上がり、90年代中盤には最強のラリーカーに。




初出:ハチマルヒーロー 2014年 02月号 vol.24(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


三菱4WDターボ(全4記事)


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text : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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