ゼッケン「20」。ホンダF1初号機と考えられるイラストも|あなたの知らないアルミ弁当箱の世界 その3 レーシングカー編

自社製V型12気筒エンジンを搭載しF1に参戦を果たしたマトラMS11。わずか1年だけの参戦で消えたマシンを採用したのはなぜなのだろうか?

       
【2】から続く

1960年代後半から1980年代まで続いた、アルミ弁当箱の黄金時代について、勝手に「想像と妄想を膨らませる当コーナーもいよいよ連載3回め。初回、2回めに続いて今回も、「日本アルミ弁当箱協会」の会長を務める「マツドデラックス」さんを迎え、氏のコレクションを紹介しながら、その解説をお願いしていく。



昭和の時代に少年・少女の心をときめかせたアルミ弁当箱。「日本アルミ弁当箱協会」の会長の「マツドデラックス」は、350を超えるアルミ弁当箱のコレクターでもある。氏は、「キャラクターが描かれたアルミ弁当箱をコレクションし、そのエピソードや時代背景を解き勝手に解説をして楽しむと言うマニアックな活動をしている」のだという。

1年間のみF1参戦したマトラや、第1期のホンダF1と思われるレーシングカーのイラストなど【写真7枚】



初回で紹介したスーパーシリーズ。ランボルギーニ・カウンタックLP400。エンジンフードやボンネット、ドアをすべてオープンにした「全開」写真が使われた。

 初回のスーパーカーシリーズ、2回目のクラシックカーと続き、今回は、レーシングカーものを紹介しよう。マイカーがまだ一般的になっていなかった当時の子供たちにとってレーシングカーはかなり遠い存在だったに違いない。ただ、遠いといっても今以上にレーシングドライバーの人気度や社会的な注目度も高く、芸能界やスポーツ選手などとの交流も盛んだった。だから遠い憧れの存在として、今以上にレーシングドライバーの認知度は高かったに違いない。当時人気を集めていたトップ女優や歌手と浮名を流すドライバーも多く、ファッション誌でモデルを務めるドライバーも多数いた。レーシングドライバーは、現在の俳優やモデル、プロ野球選手やJリーガーのような憧れの存在であり、レースの世界は、そんな華やかな存在として大人からも子どもたちからも憧れの的だった。


2回めで紹介した謎多き一品。描かれているのはダットサン ベビィだろう。ただしオリジナルがクーペボディなのに対してオープンカーとして描かれている。
 

マトラMS11 (テイネン工業株式会社)


――(マツドデラックス《以下マ》)この時代のレーシングカー、F1車両といえば「葉巻型」が全盛でした。ロータス、フェラーリ、マクラーレンなど、数あるF1車両のなかピンポイントでこの「マトラ」をチョイスした担当者は真のクルマ好きか、または全くもってF1を知らない人だったのかもしれません。前述したロータスやフェラーリなどのチームに比べ、日本での「マトラ」は圧倒的にマイナーだったに違いありません。それでも1度だけ、1969年に「ジャッキー・スチュワート」によりコンストラクターズタイトルを獲得しているので、このアルミ弁当箱は、その翌年1970年に製造されたものではないかと想像します。

−−(編集部《以下編》)氏が指摘するまでもなくマトラの知名度は低かったに違いない。なにしろフランスのマトラが、F1でワークス参加していたのは1968年のたった1年のみなのだから。F2で成功を収めたマトラがワークスとして自社製V12エンジンを搭載した初めてのF1マシンを開発し参戦したのは1968年。そして翌1969年からはワークス参戦を取りやめている。が、氏が指摘している通り、マトラはジャッキー・イクスを擁し1969年のF1コンストラクターズタイトルを獲得している。それはマトラ・インターナショナルというセミワークスチーム(ケン・ティレルが率いた。後に彼はマトラと決別し「タイレル」チームを興す)で、マシンはMS10(1968年と69年の初戦)そして発展型のMS80で、どちらもコスワース製DFV8気筒エンジンを搭載していた。つまりタイトルを獲得したのは、この絵に描かれているMS11ではないのだ。タイトルを獲得した1969年のスペインGPでは #8のマトラが優勝を果たしているが、それはジャッキー・イクスであり、MS80のほうだ。ちなみに1968年のみの参戦で消えたMS11がグランプリで#8を背負った記録はない。また、1968年の参戦当初はウイングなしの姿であったが、シーズン中盤にリアウイングが設置され、後半のイタリアGP以降にフロントウイングが追加されているので、この絵のように前後にウイングが付けられたMS11は、Rd.9のイタリアからRd.12のメキシコまでのわずか3戦しかないないはず。そして何よりマシンの色が青ではない点が最大の謎だ。マトラ、MS11と車種をしっかりと明記しているにもかかわらず、象徴的なフレンチブルーではなく赤。まったくもって何から何まで謎だらけである……。 

――(マ)これほどマニアックなF1車両を描いたこのアルミ弁当箱の当時の評価はどうだったのでしょうか? 個人的には大好きな車種である「マトラ」も当時の子供たちにとっては「?」のつくものだったことは容易に想像できます。その後大人気車両となった「タイレルP34」(6輪車)ですら私の記憶ではアルミ弁当箱にはなっていません。そう考えると当時のアルミ弁当箱の大手「テイネン工業」のアプローチは相当マニアックだったといえるではないでしょうか?


ブック型と呼ばれ人気を博した薄型タイプ。

−−(編)ところで、このアルミ弁当箱には、マトラの絵柄のほかにも大きな特徴がある。その一つは薄型であることだ。一方で面積を広く取り容量を稼いでいる。そして何より画期的なのが箸入れが内部にビルトインされている点。これでもう橋を忘れて鉛筆を箸代わりに使う必要はないのだ(そもそも箸を入れ忘れたらアウトですが)。さらに氏のコレクションでは欠品になっているが、おかずスペースに合わせた留め具付きの蓋が付いたおかず入れ(アルミタッパー)が付属されていた。だから躊躇なく弁当箱をタテに入れることができたのだ。学生鞄の薄さを競っていた時代、この機能性はこの上ない評価を集めたことだろう。


ホンダ RA271(F1) (三和鶴工業株式会社)


――(マ)こちらのアルミ弁当箱は非常に微笑ましいものとなっています。葉巻型の車体、そしてゼッケン「20」ということを考え合わせるとホンダのF1初号機「RA271」をモデルにしたのではないでしょうか? 戦績はさておきホンダF1の歴史のスタートであったこの車両をアルミ弁当箱の図柄に選ぶあたり、担当者のセンスの良さを感じずにはいられません。RA271が発表されたのは1964年、翌年には「RA272」を発表し最終戦のメキシコGPで優勝を飾る訳ですから、この商品の製造年は64から65年に掛けてだったと想像されます。65年の最終戦以降に発売したものなら、272の優勝を意識してゼッケンは「11」にしていたはずです(メキシコGPでの優勝車両は272の#11だった)から。
 このアルミ弁当箱の1番の「チャームポイント」はエンブレムです。よーく見てください。本来なら「ホンダ」のエンブレムが入る所に「鶴」のマークが入っています! このアルミ弁当箱の製造会社である「三和鶴工業株式会社(通称サンワ)」は、トレードマークの「三羽の鶴」をアルミ弁当箱に刻印していました。その鶴を何気なくエンブレム部分に描く辺りがおしゃれではありませんか! 最初は「ホンダ」のマークそのままで企画され、途中で変更されたものなのか? それとも最初から「鶴」のマークで企画されたのか? それは当時の担当者のみぞ知るなのであります。

−−(編)ホンダF1、RA271も272もフロントノーズのゼッケンは丸囲み数字ではなく、数字の後ろに日の丸が描かれていたので、最先端に鶴マーク、ゼッケンナンバー、そして日の丸となっていたら完璧という感じたが、それでは絵柄上バランスが悪いのと、権利の関係か似すぎてしまうのを避けたのだろうか? おそらくホンダだとわかる絶妙の寸止めなのかも!?


ケロヨン(カエルの冒険) ホンダRA272 or RA273(ヤマトアルミニウム株式会社)


 ――(マ)私の子供時代に一代ブームを巻き起こした「藤城清治」先生の「カエルの冒険」の主人公である「ケロヨン」のアルミ弁当箱です。車種は不明ではありますが、先日、藤城先生の事務所に問い合わせを行った際、当時のホンダのF1がモデルだったと回答をいただいております。ところでこのゼッケン「4」はケロヨンの4ではないかと勝手に想像しております。ケロヨンだから4。そんな単純なわけ……、あるかもしれないと思うと、もう「想像と妄想の世界」は止まりません。そしてもうひとつ大事なのは、おかず入れにもイラストが描かれている点です。アルミ弁当箱はキャラクターの図柄が多いのですが、おかず入れにもキャラクターが描かれているものは少なかったのではないでしょうか? お弁当箱におけるおかず入れはあくまでも脇役であり、主役はあくまでもアルミ弁当箱本体。無地に比べ割高となるキャラクター入りのおかず入れをチョイスするお母さんは少数派だったはずです。

−−(編)作者の事務所にも確認されたとはさすが、「日本アルミ弁当箱協会」の会長を務めるマツドデラックス氏。氏の探求によりホンダF1がモーチフであることは明らかとなったが、それがRA271なのか272なのか、はたまた273なのかは、やや気になるところだ。なぜなら、RA271、272はエンジンが横置きなのだが、RA273ではV12型エンジンの縦置きとなっているからだ。イラストを見るとエンジンは縦置きなので一見273のようだが、V12ではなく片側4気筒のV8エンジンのようである。となると……、とこれまた悩みは付きない。

――(マ)実は私事ですが先日、母が一人で暮らしていくことが難しくなり施設に入所することになりました。そこで実家を整理するために大掃除をしていたところ、食器棚の奥から一つの光るものを発見! それがなんと私が幼稚園時代に使用していた「ケロヨン」のアルミ弁当箱だったのです。50年間、ここで眠っていたんだなあと思うとなんだか涙が出てくるのと同時に母の愛情と凄さ(捨てない根性)を改めて感じました。藤城事務所の方にも褒めていただきました。昭和のおふくろの偉大さに感謝です。 みなさんも実家に帰られた時、戸棚をのぞいてみてください。案外、おもしろいお宝アルミ弁当箱に出会うことができるかもしれません、過去へのタイムトンネルは意外に身近なところにあるものなのです。

マツドデラックス氏
「日本アルミ弁当箱協会」の会長を務める「マツドデラックス」氏。『新人類』と言われた『花のサンパチ』。
元ソフトテニスの日本リーグプレイヤーでもあり、漫画の原作も行う。
350を超えるコレクションの中から、今回は自動車関連やヒーローものなどのアルミ弁当箱をセレクトしていただいた。

アルミ弁当箱の世界をお伝えする特集を3回に渡ってお届けしてきた。次回からは、漫画や特撮モノが描かれたアルミ弁当箱の世界について取り上げたいと思う。お楽しみに〜。




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