その名はシルエットフォーミュラ! 最終期には570ps/55.0kg-mまで高められたターボパワー|トミカスカイラインターボ Vol.2

1982年、日産ターボ軍団最後の1台として登場したトミカスカイラインターボ。デビュー時は前期型のフロントマスクだったが、途中から後期型の「鉄仮面」に。

       

激戦を繰り広げた、日産シルエット軍団

【トミカスカイラインターボ Vol.2】

【1】から続く

 1980年シーズンも柳田1人での参戦となった日産だったが、この年はその後のライバルとなるBMW・M1が登場。強敵だったが、マシンがまとまりを見せてきた柳田は、5戦4勝を記録してシリーズタイトルを獲得。
 
 翌1981年、柳田のPA10バイオレットと基本骨格を同じにするS110シルビアを使い、星野一義がSSにデビュー。初参戦の富士300kmレースでいきなり優勝。この年は全6戦で組まれ、日産勢は柳田が2勝したが、他はM1、RX‐7、セリカが各1勝ずつと勝ち星が割れる展開となっていた。


 そして1982年、後に日産シルエット・トリオと呼ばれた最後の1台、長谷見昌弘のスカイラインが登場する。当時、長谷見、星野、柳田らの参戦はまったくのプライベート態勢で、長谷見の場合はプリンス系ディーラーの支援を受けたSS参戦となっていた。この年は全5戦、M1が3勝、スカイラインが2勝という内訳で、M1の長坂尚樹がシリーズタイトルを獲得していたが、戦いぶりからストレートではターボパワーの日産勢、コーナー区間は旋回性能に優れるM1という違いがはっきりと表れていた。


 ところで、一見改造無制限に見えるグループ5規定だったが、ベース車両の基本メカニズムに準じなければならいという一項目があり、サスペンション形式がこれに該当していた。このため、PA10バイオレット系のシャシーを使った柳田と星野のマシンは、リアサスペシンョンがリジッドアクスルにならざるを得なかったのだ。一方、スカイラインはリアサスペンションが独立懸架方式であったため、PA10系より有利な条件を備えていたのである。このため柳田は、S110ガゼールターボからシャシーの基本が長谷見のスカイラインと同じ910ブルーバードに乗り換えた。そして1983年、日産トリオのターボパワーが炸裂。全10戦で長谷見4勝、星野2勝、柳田4勝とシリーズを席巻した。


 SSシリーズそのものは、1983年に始まったグループCカーによる全日本耐久選手権の発足とともに、この年で終了。レーシングカーとして完成度の高い車両とは言い難く、どちらかと言えば荒削りな内容だったが、大型のエアロパーツでまとめられたダイナミックな外観、楽に500psを超すターボパワーの圧倒的な加速力、減速時にエキゾーストから吹き出る炎は、見る側に強烈なインパクトを与え、迫力満点のレースとしてファンを魅了した。


スペースフレーム+アルミパネルで構成されたスカイラインターボのシャシーなど【写真10枚】



710バイオレット、PA10バイオレット、S110ガゼール、そして910ブルーバードと4タイプの日産ターボカーを乗り継いだ柳田春人。1980年と1983年のシリーズタイトルを獲得。





1979年、スーパーシルエットシリーズの発足と同時に参戦を開始した柳田春人。前半2戦は710バイオレット、そしてPA10バイオレットに乗り換え本格参戦の体制を整えた。






これもスカイラインターボだが、実はグループ5でなくグループCカー。1983年の全日本耐久選手権シリーズに参戦。世界最初で最後のフロントエンジンによるグループCカーだ。


初出:ハチマルヒーロー 2014年 02月号 vol.24(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

トミカスカイラインターボ(全4記事)

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text & photo : AKIHIKO OUCHI/大内明彦 photo : MASAMI SATO/佐藤正巳

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