国産初はスカイライン・スポーツ| 美しき日本のクーペ Vol.1

クーペ、馬車の時代に生み出されたデザイン。

       
【 美しき日本のクーペ Vol.1】

国産初はスカイライン・スポーツ

 モータリゼーションの発展には、ひとつの法則がある。どの国でも、最初に市民権を得るのは、働くクルマたちだ。国民の所得水準が上がってくると、乗用車が増えてくる。最初に生産台数が増え、ステータスシンボルとなるのは、実用性も高いセダンだ。日本もそうだった。1960年代半ば、昭和の年号では30年代後半までは、クラスにかかわらず、2ドアと4ドアのセダンが主役となっている。

 高度経済成長期の後押しを受け、60年代半ばから、日本の自動車産業は飛躍的な伸びを見せるようになった。国内だけでなく海外にも販路を広げるなど、世界の自動車市場でも競争力を高めつつあったのがこの時期だ。

 生産台数と販売台数が伸び、欧米の自動車事情を知る人が増えてくると、セダンでは飽き足らない人も多くなる。新しいジャンルのクルマを欲しがる人をターゲットに、登場したのがツインキャブ装着の高性能モデルだ。また、流麗なデザインの2ドアクーペと爽快なオープンカーも加えられた。

 もともと「クーペ(COUPE)」は馬車の時代に生み出されたデザインのことで、ルーフの小さい2人乗り馬車のことを指している。これが自動車でも使われた。戦前は2人乗りの美しいクルマをクーペと呼んでいる。だが、戦後になると拡大解釈され、ボディ後半のデザインを変え、スタイリッシュなボディの2ドア4人乗り、5人乗りのクルマもクーペを名乗った。

 戦前、日本でクーペを設定した自動車の筆頭にあげられるのはダットサンだ。戦後初となる記念すべきクーペはプリンス自動車から発売されたスカイライン・スポーツである。1960年11月に開催されたトリノショーでベールを脱ぎ、1962年4月に市販を開始した。デザインを担当したのは、イタリアのジョバンニ・ミケロッティだ。流麗なクーペとオープンのコンバーチブルが用意されていた。デザインはクーペスタイルだが、カテゴリーとしてはスペシャリティーカーになる。

日産 シルビアなどの日本のクーペをチェック【写真6枚】

【2】に続く



 このスカイライン・スポーツ以降、スポーティーイメージの象徴としてスタイリッシュなデザインのクーペモデルが次々に送り出された。今につながるクーペを名乗ったのは、日野自動車のコンテッサ1300クーペだ。リアエンジンのファミリーカー、コンテッサ1300のスポーティーバージョンとして、1964年12月に1300クーペを投入している。ちなみにデザイナーは、スカイライン・スポーツを手がけたジョバンニ・ミケロッティだ。



 イタリア人がデザインした2台のクーペは、2+2レイアウトを採用していた。狭いながらもリアシートのスペースを確保し、リアピラーを傾斜させ、エレガントなルックスの2ドアクーペに仕立てたのである。また、いすゞ自動車が市場に放ったベレット1600GTも美しいクーペルックだ。


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年 12月号 Vol.166(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

美しき日本のクーペ(全2記事)

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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明

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