カナダの自動車産業の歴史とホンダ|1979年式 ホンダシビックワゴン Vol.4

後方からの外見は、1977年式のバンパーとテールランプのためか意外と穏やか。ところがテールゲートを開けると異様な光景が現れた。巨大なスピーカー、その手前にはスプレー缶以上に大きい1ファラッドのEFX製コンデンサーが2本横たわっていた。前部シートのヘッドレストには8インチの液晶ディスプレーが埋め込まれ、テールゲートからは19インチの液晶スクリーンがぶら下がる。色調はもちろんボディカラーとマッチさせてあった。

       
アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方 カナダ・スペシャル【1979年式 ホンダシビックワゴン Vol.4】

【3】から続く

カナダの自動車産業の歴史

 カナダという国は北の大地であるため、国内の南寄りのアメリカ国境に近いところに人口が集中している。このためカナダの自動車産業は、歴史的にアメリカ経済に強く影響されてきた。そして近年に至って、徐々に日本メーカーからの寄与を受けるようになった。

 カナダの自動車産業の歴史をひもとけば、1904年に米フォード社のクルマを国内で組み立てたのが始まりとされる。その技術的知見を基に、08年のマクローリン社を皮切りにして、カナダ独自のメーカーがいくつか誕生した。これら国内メーカーを育てるために、カナダ政府は35%の自動車輸入関税を導入した(すなわちアメリカ製のクルマはカナダ国内で必要以上に高額になった)が、アメリカ製輸入車に押される状況は好転せず。その後わずか数年のうちに全てのカナダメーカーがアメリカメーカーと提携せざるを得なくなった。カナダにとって事態はさらに悪化し、結局カナダ独自のメーカーは24年までに全て消滅してしまった。

 その間に起こった第1次世界大戦、その後の第2次大戦での自動車の重要性を目の当たりにし、自動車が大産業に発展するとカナダ政府は認識。アメリカメーカーの名前の下で行われていた自国製自動車製造を、有利に進めようとする経済政策をもくろんだ。しかしそれはアメリカとの経済摩擦を生んだ。そんな60年代、日本車という異質な存在がカナダに出現したのだった。

 クレアトーンというオーディオメーカーの会社オーナーだったカナダ人2人がいた。彼らはアメリカの押しの強い自動車産業の様子を見ながら、カナダ独自の自動車会社を設立したいという熱意に駆られた。そして64年、「カナダ初の『オールカナダ』の自動車会社」を自負するカナディアン・モーター・インダストリーズ(CMI)を設立。CMIは初めから日本メーカーの動向に注目していたので、すぐに社員を日本へ派遣し、トヨタといすゞから契約を取り付けた。CMIの動きは速く、その年のうちにトヨタ・クラウンとパブリカを輸入。並行してトヨタは65年に現地法人を設立した。さらに68年から輸入の始まったカローラは、翌69年にはカナダ東部のノバスコシア州で現地組み立てを開始。こうして事は迅速に進んだ。

 一方のいすゞは、ベレットでカナダ自動車史に変わった足跡を残した。65年CMIによってカナダにお披露目されたベレットは、コストパフォーマンスが高いと現地自動車雑誌が絶賛。それに同調してCMI自身はフォルクスワーゲン・ビートルとの比較広告を打ってベレットの価値の高さを宣伝した。

 このころCMIはすでにベレットの現地組み立てを考えていた。そこにはこんな背景があったからだった。

 スチュードベーカー社は馬車から始まったアメリカの有名メーカーだったが、64年には業績不振のためカナダに移転してきていた。CMIがもくろんだのは、スチュードベーカー社を買い取り、ベレットをラインナップに加えてスチュードベーカーの名前を立て直すことだった。これは、トヨタと日産に援助を断られていたスチュードベーカーにしてみれば、間接的に日本から助け舟を出されたことになる。いすゞは、自社名が前面に出ないにもかかわらずこの計画を了承。ところが土壇場で、スチュードベーカーの経営状況が相当の足かせになると恐れたCMIは、なんと同年中に話をご破算にしてしまった。

 結果としてベレットは、67年までは輸入、68年からはノバスコシア州で585台だけが組み立てられた。80年4月、CMIはトヨタカナダとなった。

 ホンダはやや遅れて69年にカナダ法人を設立。Sシリーズは正規輸入されなかったが、70年になって360ccエンジンで左ハンドル仕様の「N」を発売。しかしこの「カナダ初のホンダ車」はまさに数えるほどしか売れなかった。

 それでも73年に投入したシビックは半年間に747台を売り上げて、75年になってCVCCが発売されると年間販売数は2万台を突破。当時カナダを席巻していたヨーロッパ小型車と比べて文字通り「別世界」からやってきたような日本製小型車シビックは、その斬新な容姿に加えて、室内ヒーター、リアウインドーヒーター、プッシュボタン式ラジオ、リクライニングシート、2段階ヒーターファン、2段階ワイパーなどの豪華装備が新鮮で、76年から78年にかけて「28カ月連続月間売り上げ1位の輸入車」という記録を打ち立てた。

 カナダ人は自らを現実的な国民性であると言う。70年代に日本車を見た彼らは「自国製自動車より優れた性能で安い維持費。われわれが求めていたコンパクトカーはこれだ!」と感じた。隣国アメリカと違ったのはオイルショックの影響だ。アメリカよりガソリンの豊富だったカナダは、当時反動として日本車など小型車の売り上げが減少した。そんなカナダでも、今日ではトヨタやホンダなどのメーカーが現地生産を行い、カナダ経済に寄与し続けている。


カナダ固有のモデル、シビックスペシャルXなど【写真20枚】



1979年式 ホンダシビックワゴン





1976年式シビック コンバーチブル改




1979年式 シビックスペシャルX(ホンダカナダ10周年記念モデル)





Vol.2、Vol.3、Vol.4に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年 12月号 Vol.166(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1979年式 ホンダシビックワゴン(全4記事)

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text : AKIO SATO/佐藤昭夫 photo : ISAO YATSUI/谷井 功

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