【ダイハツロマネスク 2】1967年にトヨタと業務提携を結び、乗用車はOEM供給と受給が中心に|波瀾万丈のダイハツストーリー

ダイハツ工業は、日本でもっとも長い歴史を誇る量産車メーカーだ。

       
【波瀾万丈のダイハツストーリー】

Vol.【1】から続く

 だが、1960年に9万台に迫る生産台数を記録したのを最後に、ミゼットの生産は下降線をたどった。

 需要が落ち込んだのは、軽四輪商用車が台頭してきたからだ。ダイハツも時勢に遅れまいと1960年10月にボンネットを備えたハイゼットL35型トラックを投入する。当時は悪路が多かったため、タイヤは時代を先取りして12インチとした。すぐにバリエーションを拡大し、パネルバンとライトバンを仲間に加えている。

 エンジンは新開発した356ccの空冷2サイクル2気筒だ。発売から2年後に、これまた先駆けとなる分離給油ポンプを備えたオイルマチックを、ミゼットとハイゼットに採用する。この時期、ハイゼットのライトバン・スペシャルにホワイトリボンタイヤを履かせ、乗用車ムードを強調した。60年代前半のダイハツは、機能と快適性を高める装備を積極的に導入したのだ。

 だが、軽商用車はボンネットタイプからフルキャブの時代に移っていく。そこでライバルに対抗し、1964年4月にハイゼットキャブを送り出した。キャビンも荷室も、ボンネットタイプよりはるかに広く、使い勝手がいい。

 また、高度経済成長を背景に、乗用車の分野にも色気を見せている。63年春に発売したのが、800ccの水冷直列4気筒エンジンを積むコンパーノ・バンだ。商用車を最初に送り出したのは、手堅い大阪商人のダイハツらしいところである。その後、セダンのコンパーノ・ベルリーナを発売に移した。

 が、1967年にトヨタと業務提携を結び、乗用車はトヨタのOEM供給と受給が中心となった。その後は軽自動車メーカーとして生き残りを図り、時代に先駆けてFF路線へと転換。2007年には念願の軽自動車販売ナンバーワンメーカーの座を手にするのである。



ミゼットに代わる商用車として開発されたハイゼットなど【写真4枚】



高度成長期で余裕が出てきた若者へ向けたフェローMAX。遊びを提案する画期的なクルマだった。




パブリカOEMのコンソルテ。トヨタのOEM車両は今もダイハツの売り上げを支えている。


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年 10月号 Vol.165(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

波瀾万丈のダイハツストーリー(全2記事)

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