「解体屋で同形式のハイラックスを見かけるたびに、たくさんパーツを取り外して自分で保管していました」いつまでも手元に置いておく|1969年式 トヨタ ハイラックス Vol.3|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方

車両後方からも手製キャンパーの収まりは良く見えた。ボディ側面のサイドマーカーは日本製、テールゲートにつけられたリフレクターはアメリカ製で、どちらも当時の北米安全基準を満たすためのものだった。ベッドの外側にはフックが付く。

       
【1969年式 トヨタ ハイラックス Vol.3】

Vol.2から続く

いつまでも手元に置いておく

 ジャクソンさんはアメリカンモータリゼーションを身をもって体験した男性の例に漏れず、子供の頃にはレーサーになりたいと思っていたそうだ。

「これまでに何台乗ったかなんて、数えきれないですよ。2代目シボレー・コルベットやホットロッドなんかの古いアメ車をたくさん、それ以外にはオースチン・ミニ、MGミジェットとかの英国車も。数多く乗ったなかでも一番良かったスポーツカーは、30歳代の後半の頃に乗っていたデ・トマソ・パンテーラでしたね」

金属製で、シルバーの塗装はオリジナルのままのダッシュボードなど【写真5枚】

 このようにさまざまなクルマを乗りこなしてきたジャクソンさんは、このトヨタ・ハイラックスのエンジンを見た時にこんな印象を持ったそうだ。

「このトヨタのエンジンは、50年代のシボレーの直列6気筒エンジンを、そっくりそのまま4気筒に減らしたように見えました。シリンダーブロックの脇にバルブにアクセスする開口部があって、インテークやプッシュロッドの位置や形状なんかもそっくりです」

 こんなエンジンの説明からも、特定のクルマやメーカーにこだわらず数多くのクルマに接してきたジャクソンさんの、豊かな知識がうかがい知れた。特定のクルマに入れ込むことはないが、どのクルマにも最低限のケアを欠かさないのがジャクソンさん流だ。

「最近はその機会もすっかり減りましたが、以前は解体屋で同形式のハイラックスを見かけるたびに、たくさんパーツを取り外して自分で保管していました。今はオイルを定期的に交換して、週に1度日曜日に運転するようにしています。それでも、近所を少し走るくらいですけれど。いつも問題なく走りますし、全体に調子は良好です」



 こんなにもまめなジャクソンさんなのだが、クルマの外観に関してはあまり興味が湧いていないようだった。

「今のような色の混じったカラーリングになったのも、ボディ表面のサビが目障りになるたびに、サビ防止のためだと思って、その都度手持ちの塗料で塗っていたからなんです。こんな見た目でも、走っていて別に誰の目にも留まらないみたいで、声をかけられたりもしないですよ。普段は洗車もしません。洗車したって、今より見た目がきれいになるわけでもありませんからね」

 ジャクソンさんは、自分のこだわりのなさをそんな風に説明した。

「それでもこのクルマをまだ持っておきたいのは、センチメンタルだからなんです」

 運転する機会も少なく、普段はクルマが朽ちないため以上の何の手入れもしないが、それでもいつまでもこのトラックを手元に置いておきたいのは、それが父親の形見だからなのだ。

 トヨタ・トラックは、当時のダットサン・トラックのような小型ピックアップの花形にはなれなかった。それでも、このハイラックスは走れるよう維持してくれるオーナーがいて、故郷から遠く離れたこの町で、公道上に存在し続けている。45年という月日。その間には、日本とアメリカをつないだジャンボジェットが、その空から消え行くほどに時が流れたのだった。




初出:ノスタルジックヒーロー 2014年8月号 Vol.164(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1969年式 トヨタ ハイラックス (全3記事)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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