懐かしい!「いつの時代もクルマの要」1955年に始まった国産セダンの歴史|セダンの神髄

日本のセダン元年は1955年。さまざまなセダンが市場へと登場した。

       
【いつの時代もクルマの要はセダン】

スポーツカーやクーペなどに人気が集まるのはよく分かる。しかし乗用車の要に位置しているのは、やはりセダンであることは間違いない。ボンネット+乗員空間+トランク、3つの箱をつなぎ合わせた形のセダンは、ロングドライブでも乗員が疲れにくいクルマとして広まっていった。

ファミリーカーの代表

 乗用車の基本形、それが「SEDAN」である。ドライバーとパッセンジャーが快適にドライブを楽しめるクルマがセダンで、ツーリングカーとしての性格が色濃い。スポーツカーは動力性能にこだわり、速く走ることを第一に考えて設計を行う。これに対しセダンが重視しているのは快適性だ。心地よい疲れではなく、ロングドライブで全員が疲れないクルマ造りを要求される。快適に移動できることを第一に考えるとともに、運転する楽しさも追求するなど、とても奥が深い。

 セダンの設計は簡単そうで難しい。パッケージング、キャビンの居住性と質感、操縦安定性、乗り心地などの快適性など、多くの項目において高い得点を取ることが要求される。また、後席の居心地の良さやトランクの広さ、使い勝手の良さなど、実用性を重視するユーザーも多い。平均点の高いセダンを量産化するためには、高い技術力と多くのノウハウが必要だ。

 贅を尽くした高級車となれば、なおさら要求度は高くなる。メルセデス・ベンツやキャデラックなどの高級車ブランドは、長い時間をかけて、名誉と信用を勝ち取ってきた。

 いつの時代も、モータリゼーションの要となっているのは、ファミリーカーの代表と言えるセダンである。日本もトラックやライトバンなどの商用車が主役の時代を経て、セダンの時代が到達した。今は4ドアセダンが常識となっているが、1970年代までは2ドアのセダンも多い。もちろん、その頃までは、伸びやかな3BOXデザインがセダンの主役となっていた。

 セダン元年は1955年だ。年号では昭和30年が節目の年となる。この年、トヨタはクラウンを、日産はダットサン・セダン(110型)を市場に送り出した。それまでは少量生産だったが、この2台は本格的な生産体制を整えている。

 独自路線にこだわり、地道に技術力を高めてきたトヨタは、1955年1月にクラウンを発表した。日本髪の花嫁が無理なくリアシートに座れるように、観音開きのドアを採用したのが初代クラウンである。シャシーやボディ構造にも、新しい技術がふんだんに盛り込まれた。前輪に採用したダブルウイッシュボーンの独立懸架、これは国産量産車としては初の試みだ。ちなみにエンジンは、1.5L直列4気筒OHVでスタートし、税制が変わったのを機に1.9Lモデルが加わっている。

 同じ年、日産も革新的なファミリーカーを世に出した。コンバーから譲り受けた860ccの直列4気筒サイドバルブエンジンを積むダットサン・セダンだ。毎年のように改良を行い、57年秋には新開発のC型4気筒OHVエンジンを積むダットサン210へと進化する。走りの実力を飛躍的に高めている。映画の全盛期だったこともあり、クラウンとダットサン・セダンはスクリーンにも頻繁に顔を出した。

 クルマを身近な存在にしたダットサン・セダンは、1959年7月に後継のブルーバード(310型)にバトンを託し、勇退している。トヨタもブルーバード誕生の2年前に、トヨペット・コロナを送り込んだ。この2車は技術力と販売台数を競い、マイカー時代の幕開けを告げた忘れられないセダンである。

 コロナが誕生した1957年、中島飛行機をルーツとする富士精密工業(後のプリンス自動車工業)もスカイラインを発売した。クラウンの対抗馬として開発されたスカイラインは、アメリカ車のようにきらびやかなデザインと精緻なメカニズムを採用し、話題をまいている。トヨタとプリンスは、ともに独自技術で苦難に挑んだ。これは実に興味深いことである。ちなみにスカイラインは、モデルチェンジして2代目になったときにダウンサイジングを敢行した。このとき、スポーティーなファミリーカーに生まれ変わったのである。

各社から高級セダンが登場

 海外の自動車メーカーと技術提携して、質の高いファミリーカーを造り出そうと考えた自動車メーカーも少なくない。イギリスのオースチンと手を組んで技術レベルを引き上げた日産とともに、イギリス流のクルマ造りに目覚めたのがいすゞ自動車だ。イギリスのルーツ社と提携して、54年からヒルマンの生産を行っている。

 1956年秋に初めてのモデルチェンジを実施して、走りの実力を大きく引き上げた。当時の日本車は100km/hを出せるクルマが少なかったが、ヒルマンは初期モデルでも100km/hの大台を超える実力を秘めている。このヒルマンで培った技術を駆使して、いすゞはスポーティーなファミリーセダン、ベレットを生み出した。

 今はいすゞと同じように、トラック/バスの専門メーカーになってしまった日野自動車も、技術提携組だ。フランスのルノー公団と提携してルノー4CVのノックダウン生産を開始している。リアエンジンのため足元は広く、快適性も高かった。しなやかに動くサスペンションの効果もあり、走りは軽快だ。ルノーの生産で得られた技術力と有形無形のノウハウを生かし、日野はコンテッサ900と後継のコンテッサ1300を開発している。

アメリカ車のデザインテイストが随所に見て取れる、モダンな雰囲気のセダンなど【写真4枚】

 日本の自動車産業の主役が、商用車から乗用車に移るのが60年代だ。その最初の年、日産は最上級セダンをセドリックと名付け、販売に移した。車名の上にはダットサンではなく「ニッサン」の文字を付けている。ダットサンより1ランク上の高級セダンを目指したからだ。オースチン社との契約が期間満了となるため、オースチンA50ケンブリッジの後継セダンとして設計された。トヨタのクラウンよりひと回り大きなボディを採用し、フロントマスクもきらびやかなデザインだ。

 この時期に乗用車の規格が変わり、小型車枠が2Lエンジンまで引き上げられた。高級セダンにはATが設定され、ホイールベースを延ばしたストレッチセダンも登場する。快適装備も一段と充実したものになった。プリンス自動車もプレステージ性を高めたグロリアを投入し、2代目は直列6気筒時代の幕開けを告げている。

 ブルーバードとコロナが独占していたミドルクラスにも続々とニューカマーが登場した。第3勢力のマツダはイタリアンデザインのルーチェを、三菱は正統派のコルト1500を送り出している。コルトブランドのファミリーカーは、コルトギャラン、ギャランの系譜へとバトンをつないだ。

 その下のコンパクトクラスも、この時代は3BOXデザインが主流である。ダイハツのコンパーノとマツダのファミリアに続いて登場したダットサン・サニーとトヨタのカローラが主役に躍り出た。ユーザーフレンドリーを掲げ、独自の世界を創出してきたのが、誇り高きニッポンのセダンである。だから今も心に残るクルマが多い。




1958年式プリンス・スカイライン・デラックス。ALSIの型式を持つ初代スカイラインの初期型。アメリカ車のデザインテイストが随所に見て取れる、モダンな雰囲気のセダンだった。





1966年式三菱コルト1500デラックス。正しいセダン、とでも言いたくなる角張ったフォルムを持つコルトは、1963年に1Lエンジン搭載で登場。1500シリーズは1965年に追加された。





1968年式ダイハツ・コンパーノ・ベルリーナ1000 2ドアスーパーデラックス。コンパーノは1963年春にバン&ワゴンから発売。同年秋にベルリーナ(イタリア語でセダン型ボディの意)が追加された。オープンルーフのスパイダーの1Lエンジンを搭載した4ドア1000シリーズは、1965年5月に発売された。





ロータリーエンジン搭載車の印象が強いマツダ・ルーチェだが、1966年に登場した初代ルーチェは、れっきとした1.5Lレシプロエンジンを搭載していた。デザインの美しさは、今なお色あせない。


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年8月号 Vol.164(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明

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