スカイラインを追い詰めた、もうひとつのGTカー|いすゞ ベレット 1600 GT Vol.1|痛快スポーツモデル

まだ自動車が高根の花だった時代、自動車メーカーはすでに高性能化を視野に入れていた。グランドツーリング、グランツーリスモの概念を真っ先に取り入れたのはいすゞだった。

       
【いすゞ ベレット 1600 GT Vol.1】

 今から50年前の1964年4月末。わずかな日にちの差でスカイラインより早く、日本で初めて「GT」を名乗ったモデルがある。いすゞベレット1600 GTである。1300&1500ccの小型セダンとして企画されたベレットから派生したクーペモデルで、スポーツ色の強いベレットの血統を物語るようにして勇躍サーキットレースに登場。そして排気量で勝るスカイラインを追い詰めていった。

同時期に誕生したベレGとスカG、高性能化への草分け的存在となる

 プリンスのスカイラインGTが、第1回日本グランプリでの雪辱を果たすため、1964年の第2回日本グランプリに間に合わせて、急きょ作られたモデルであることはよく知られた事実である。

 日本初のGTカーが誕生と見なせるところだったが、実はもう1台、ほぼ同時期にGTを名乗のるモデルが登場した。いすゞのベレットGTである。厳密に言えば、モデル発表という形でGTを名乗ったのはベレットのほうが早く、しかし発売はスカイラインのほうが早かったという事実関係である。

 この両者、高性能量産モデルとして市場の人気を集めただけでなく、サーキットレースでもライバル関係にあり、幾多の名勝負を演じてきた歴史を持っている。

 今回は、50周年を迎えたもう1台のGTとしてベレットGTを振り返ってみることにする。いすゞのワークスドライバーとしてベレットGTのステアリングを握った米村太刀夫氏さん、当時の様子を補足していただいた。

旋回性能のよさを武器にスカイラインGTと互角の勝負を演じたいすゞ・ベレットGT。ライバル スカイラインGTに先行するシーンなど【写真6枚】



「4輪独立懸架、セパレートシート、フロアシフトと、もう少し後の時代から眺めてみると、すべてどうということはないメカニズムや装備だが、リーフリジッド、ベンチシート、コラムシフトが乗用車の標準的なスタイルだった当時、ベレットという車種はシリーズ全体がスポーティーさに突出したモデルということができたでしょう」

 現在もモータージャーナリストとして執筆活動を続ける米村は、ベレットという車両をとらえてこう分析した。
「もともと、いすゞはヒルマンのノックダウンで戦後の乗用車市場に乗り出し、自社や関連企業のVIPが乗る車両としてベレルというモデルを企画したが、これがうまくいかなかった。それならば、みんなに支持される基本性能が高く、スポーティー色のあるモデルを作ればよいということで、ベレットの車両企画が考えられたわけです」

 自社や自社関連企業のVIP用車という発想は、三菱のデボネアとまったく同じで、その成り行きも似たような道筋をたどったという点で共通する。

 こうしたモデルラインナップ下で開催された1963年の第1回日本グランプリ時には、いすゞの持ち駒はヒルマン(1300~1600ccクラス)とベレル(1600~2000cc)となり、いずれも最上位は4位と2位というように、基本性能の高さを示す結果を引き出していた。

 これが64年の第2回日本グランプリになると、いすゞにとっては新車種となるベレット1500が1300~1600ccクラスに加わり、好結果が期待されていた。しかし、これもよく知られる展開だが、前年の失敗に懲りたプリンスが、失地挽回とばかりにスカイライン(1500cc)、グロリア(2000cc)に万全の準備を施し、両クラスとも制覇すると共に上位を占めることに成功した。とくにスカイラインはトップ10の上位8台を独占。ベレットは9位、10位に食い込むのがやっとの状態で、スカイラインの前に完敗する状況だった。

 この日は、プリンスのためにあったような日で、期待のスカイラインGTは2、3位と惜敗する形になったが、ポルシェ相手のデッドヒートでかえって名声を上げることになり、その後長く続くスカイライン神話の原点になるパフォーマンスの一端を見せていた。ベレットGTが市販されるのは、第2回日本グランプリ終了後のことで、基本型はベレットクーペとなり、その中に1600GT、1500GT、1500クーペの3グレードが並べられる車種構成だった。

 第2回日本グランプリには間に合わなかったベレットGTだが、本格始動は翌1965年まで待たなければならなかった。というのも、1964年時点ではまだグランプリ以外にレースがなく、クラブマン規模のレースが本格的に立ち上がるのは、1965年に入ってからのことだった。
 この年は、鈴鹿とJAFの間でコース使用に関する話し合いがまとまらず、第3回日本グランプリがキャンセルとなっていた。代わって新装の船橋サーキットでCCCレースが開催されることになるわけで、国内メーカーによるGT/T両カテゴリーのレース活動は、この1965年を元年として本格的な発展を遂げていくことになる。


まだ自動車が高根の花だった時代、真っ先に、グランドツーリング、グランツーリスモの概念を取り入れたのがいすゞ【写真6枚】



Vol.2Vol.3に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年7月号 Vol.163(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


いすゞ ベレット 1600 GT(全3記事)

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text : AKIHIKO OUCHI/大内明彦

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