1960〜70年代、皆が憧れたスポーツモデル|痛快無比のコンパクトスポーツ Vol.1

コンパーノ・スパイダー、パブリカ・ディタッチャブルトップなど、当時の魅力的なコンパクトスポーツ。

       
【痛快無比のコンパクトスポーツ Vol.1】

1960〜70年代には、車両重量700kg前後の運転していて楽しいコンパクトスポーツモデルがたくさんあった。強大なパワーはないけれど、アクセルの動きにビンビン反応してくれるエンジンは、クルマを操る痛快さを教えてくれた。そんな忘れられないスポーツモデルたちを思い出してみよう。

皆、スポーツモデルに憧れた

 クルマ好きでなくても憧れ、一度はオーナーになりたいと思うのが、高性能エンジンを積んだスポーツモデルだ。20世紀、とくに昭和期は、今以上に高性能車が持てはやされた時代だった。日本ではボディサイズと車両重量、排気量によって税額が決まる。だからクラスの中で最高レベルのクルマを目指し、パワー競争に励んだ。
 痛快で楽しいのは、コンパクトサイズのスポーツモデルである。軽量コンパクトなボディに高性能エンジンを積み、上級クラスのクルマをカモることを至上の喜びとした。この手のクルマは、ライトウエイトスポーツとかボーイズレーサーと呼ばれ、クルマ好きから憧憬のまなざしで見られている。

 キャブレターの数を増やして高性能化を図り、小気味よく変速できるフロアシフトの4速マニュアルを採用。そしてサスペンションも締め上げて走りの実力を高めたコンパクトサイズのスポーツモデル(とスポーツグレード)が誕生するのは1960年代初頭だ。タコメーターも装備している。

 その最初の作品は、1962年6月にホンダが発表した2人乗りフルオープンのスポーツカー、スポーツ360だろう。鈴鹿サーキットで催した第11回全国ホンダ会に、軽自動車規格に収めたスポーツカーを持ち込んでいる。10月の第9回全日本自動車ショーには上級のスポーツ500も出品した。

 期待されたスポーツ360は試作だけに終わったが、もう1台は「S500」と名を変えて1963年10月に発売されている。S500はS600へと発展し、S800まで進化したことはご存じのとおり。ホンダSシリーズの水冷直列4気筒DOHCエンジンは、レーシングエンジンのように軽やかに回り、レスポンスも鋭かった。

 ホンダSシリーズと逆のアプローチでライトウエイトスポーツの楽しさを追求し、表現したのがトヨタだ。全日本自動車ショーに展示した「パブリカスポーツ」の設計コンセプトを受け継いだトヨタスポーツ800が、1965年春に正式デビューを飾っている。
 動力性能はDOHCのホンダSシリーズに遠く及ばない。だが、580kgの軽量で空力性能に優れたボディを武器に、冴えたフットワークを披露。ドライバーを陶酔の世界に導いた。その後、パブリカにツインキャブのエンジンを積んだパブリカスーパーとコンバーティブルも仲間に加えている。

オープンスカイが楽しめたコンパクトスポーツ、パブリカ・ディタッチャブルトップ(左)とコンパーノ・スパイダー(右)など【写真5枚】





 同じ時期にダイハツは、主力ファミリーカーのコンパーノ・ベルリーナをベースに、スポーツモデルを開発した。第1弾はフルオープンのコンパーノ・スパイダーだ。958ccの直列4気筒OHVエンジンをツインキャブ化し、俊敏な走りを手に入れている。デビューから半年後には同じエンジンを積むベルリーナ1000GTを投入。1967年には2ポート燃料噴射ポンプを採用した画期的な1000GTインジェクションも送り出し、話題をまいた。

 東洋工業を名乗っていたマツダも、主力のファミリアにスタイリッシュな1000クーペを設定している。見逃せないのは、時代を先取りしたSOHCエンジンにツインキャブの組み合わせだったことだ。ダイハツにしてもマツダにしても、メーカーの威信をかけて、高度なメカニズムを満載したスポーツモデルを送り出している。

Vol.2に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年7月号 Vol.163(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

痛快無比のコンパクトスポーツ(全2記事)

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text : HIDEAKI KATAOKA/片岡英明

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