後のHRC、伝説のRSCレーシングカーの咆哮|1968年式 ホンダ S800 RSC Vol.1|痛快スポーツモデル

ボディカラーはRSCカラーと呼ばれた黄色に赤いラインのもの。68年の鈴鹿12時間レースに出場した永松邦臣、木倉義文組のマシンであることを示す25番のゼッケンも当時の雰囲気を表す。

       
【1968年式 ホンダ S800 RSC Vol.1】

 ホンダSシリーズは発売直後からレースで大活躍する。S600が発売開始された1964年3月、直後の5月に鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリのGT‐1クラスでは、ロニー・バックナム(1965年ホンダRA272ドライバー)が搭乗したS600が優勝し、北野元をはじめとする当時のGPライダーたちが上位を独占。同年9月にドイツのニュルブルクリンクで開催された500kmレースでは、デニス・ハルム(1967年F1ドライバーズワールドチャンピオン)がS600に乗りGT‐1クラスで優勝した。

RSCタイプと呼ばれ、S800のレースシーンでは人気だったハードトップなど【写真7枚】

DOHCエンジンを搭載した高性能な本格的スポーツカーとして発売され、販売価格の安さから多くの人がSシリーズでレースに参加。これで腕を磨くドライバーが多かった。そんな流れを受け、ホンダ社内でもセミワークス的な存在が必要との意見が出るようになった。




 そんな中、1965年7月に行われた全日本自動車クラブ選手権(CCCレース)で生沢徹が駆るS600が、浮谷東次郎の駆るトヨタスポーツ800に逆転負けを喫した。当時本田技術研究所社員だった木村昌夫さんを中心としたホンダの若手社員が生沢のマシンをチューニング。その頃プライベートドライバーを支援していたRSFが本格的なホンダのレース部門となるRSC(レーシング・サービス・センター。後のHRC)と名称変更。レース用パーツを開発し、プライベーターにもキットパーツを供給して、約1年半後にはレースシーンでS800は圧倒的な強さを誇るようになった。生沢徹もRSCチューンのS800に乗って、1967年のニュルブルクリンク500kmレースでクラス優勝を果たしている。

Vol.2に続く


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年7月号 Vol.163(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


1968年式 ホンダ S800 RSC(全2記事)

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photo : ISAO YATSUI/谷井 功

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