ホンダ4輪自動車開発のスタートはオープンスポーツ。軽自動車枠のスポーツカーというコンセプト|1962年式 ホンダ スポーツ360 Vol.1|痛快スポーツモデル

ウインカーレンズはオリジナルが残っていたが、左右の差があり、結局S600のものを使用している。

       
【1962年式 ホンダ スポーツ360 Vol.1】

1962年に行われた第9回全日本自動車ショーに出展されたホンダスポーツ360

四輪車市場への本格参入するホンダの象徴として、ショーの話題を独占したクルマだった。
しかし、特振法を回避する戦略から実際に販売されることはなかった。
そして2013年、50年の時を超え、再びショーの舞台へと舞い戻ってきた。


 本田技研工業の4輪自動車開発が実質的に始まったのは1958年。経営不振に陥っていた、くろがね工業より転職してきた故・中村良夫さんの入社からだった。その年、続々と本田技研工業に転職してきた元くろがね工業社員によって初めて4輪自動車の図面が完成。中村さんを中心としたメンバーをもとに4輪自動車開発部門となる第3研究所が設立された。

 4輪自動車開発において故・本田宗一郎(創業者。1973年まで代表取締役)さんからの要求は当初「4気筒エンジンで軽自動車枠に収めること」であった。カブの大ヒットで世界的メーカーとなっていたホンダは、オートバイ店での4輪自動車販売を目論んでいた。自転車店でのオートバイ販売という故・藤沢武夫さん(ホンダ創世期に財務、販売を取り仕切った実質的な共同経営者)のアイデアで販売を伸ばした施策を再び利用し、先行する自動車メーカーに追いつこうと考えていたのだ。そのため、オートバイ店でも販売しやすい軽自動車枠での開発が進められていた。

 最初の試作車であるX170は、1959年初頭に完成。60度のV型4気筒SOHCエンジンを搭載したFF車だった。同年、X170の後継となるX190の開発がスタート。ここから実質的に販売車両を意識した試作が行われ、軽自動車枠のスポーツカーというコンセプトが追加される。試作の際に出た問題点を解決するため、独自開発によるリアの独立懸架、信頼あるオートバイのチェーン駆動などが採用され、Sシリーズの特徴的な機構が定まってきた。並行して、売り上げの望める商用車型X120(T360のプロトタイプ)の開発も始まった。

 1959年は、2輪のレースで当時世界最高峰であったマン島TTレースに初めて出場した年。無謀な挑戦といわれたこのレースで谷口直己選手の6位をはじめ7、8、11位と出場した日本人レーサー全員が完走し、125ccクラスのメーカーチーム賞を獲得。この2輪車部門の好成績が4輪自動車開発に大きな影響を与え、レースでの勝因である高回転、高出力の水冷直列4気筒DOHC、356ccエンジンを搭載。小排気量車を高回転型エンジンでパワーを稼ぐ、ホンダ車の特徴が形成された。

 そして、1962年6月5日に建設中の鈴鹿サーキットで開催された第11回全国ホンダ会総会において、スポーツ360(TAS260)とT360を初披露。社員によるテスト走行も行われた。


S500/600に比べわずかに直径が小さいテールライトなど【写真6枚】



Vol.2、Vol.3に続く

SPECIFICATIONS 主要諸元
1962年式 ホンダ スポーツ360(AS250)
●全長 2990mm
●全幅 1295mm
●全高 1146mm
●ホイールベース 2000mm
●最低地上高 160mm
●車両重量 510kg
●乗車定員 2名
●最高速度 120km/h以上
●登坂能力 1/5
●最小回転半径 4.2m
●エンジン種類 水冷直列4気筒4サイクルDOHC
●総排気量 356cc
●ボア×ストローク 49.0×47.0mm
●最高出力 33ps/9000rpm
●最大トルク 2.7kg-m/7000rpm
●燃料タンク容量 25L
●ステアリング形式 ラック&ピニオン
●サスペンション前/後 ウィッシュボーン・トーションバー/トレーリングアーム・コイルスプリング
●ブレーキ リーディングトレーリング形式油圧ドラムブレーキ
●タイヤ 前後とも5.20-12-2PR

初出:ノスタルジックヒーロー 2014年7月号 Vol.163(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1962年式 ホンダ スポーツ360(全3記事)

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photo : ISAO YATSUI/谷井 功

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