限定2万台で抽選! クルマまるごと企画モノ。バブル景気とパイクカー|今では考えられない限定車たち Vol.3|THE限定車

愛らしいレトロ調デザインがウケだったパイクカー。

       
【今では考えられない限定車たち Vol.3】

Vol.2より続く

 そして80年代の半ばから日本の自動車産業をバブル景気が後押しする。この時期の特別限定車の主役は日産だ。積極的にとがったデザインの「パイクカー」を開発し、特別限定車として発売した。

1万台の台数限定だったBe-1など【写真4枚】

 その最初の作品がレトロ調デザインを採用した『Be‐1』である。ベースとなっているのは初代マーチだ。1985年秋の東京モーターショーに参考出品し、反響が大きかったため1987年1月に予約受け付けを行った。販売台数は2年間で1万台の限定だ。

 愛らしいレトロ調デザインがウケ、発表から2カ月後の3月10日に予約を打ち切った。Be‐1は筆者も食指を動かされたほどの傑作だ。抽選でオーナーを決めるほどの人気だったので、日産は第2弾として『パオ』の量産化を発表した。これは台数限定ではなく3カ月間の期間限定である。日産のパイクカー戦略は91年2月に予約を開始したフィガロで打ち止めとなった。が、社会現象になるほど大きな話題となっている。専用デザインを採用した3台のパイクカーは、バブル期だからこそ量産化できたおきて破りの特別限定車だ。

話題を集めたパイクカー3兄弟

 特別限定車は装備を追加したり、専用の仕様にするのが常で、エンジンに手を加える程度もまれ。にもかかわらず、1990年前後に日産が送り出したのは、その常識を打ち破るおきて破りのパイクカー3兄弟だった。中身は初代マーチ。しかし、まったく新しいボディを造るだけでなく、インテリアもそれぞれ専用にデザイン。これほど手の込んだ限定車はこれ以外にない。しかも、どれも大反響を呼んだ。これもバブルのなせる技か!?


BK10 Be-1



FK10 FIGARO



PK10 PAO


Be-1は1万台の台数限定で1987年1月に発表。約2カ月で完売。第2弾のパオは1989年1月からの3カ月間限定受注で、5万1657台を受注。第3弾のフィガロは2万台限定で1991年2月に発表。予約者のなかから2万人を抽選で選んだ。

Vol.4に続く


初出:ハチマルヒーロー 2013年5月号 Vol.021(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

今では考えられない限定車たち(全4記事)

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text : HIDEAKI KATAOKA / 片岡英明

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