免許を取って2週間後には一人800km先のイベントへ。愛するロードスターを使い、メカと走りの究極を楽しむ|ダットサン・ロードスター Vol.1|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方

パーツや工具が整然と置かれ、こぢんまりとしたキャンベルさんのガレージ。現在住む住居の大家との約束で、ガレージではクルマの作業はしないことにしている。そんなキャンベルさんは、作業に使える場所を借りるために、工具を担いで転々とするクルマ生活をしている。自転車も愛好するキャンベルさんは、14歳のときに自転車レースを始めた。大学に入ると急激に上達し、ロードレースとマウンテンバイクの両方で、全国大会への参加経験を持つほどの腕前だ。

       
【ダットサン・ロードスター Vol.1】

 クルマ好きになるためのアプローチは、人の数だけ無数にある。今回のオーナーの場合、友達が乗ってきた愛車がきっかけだった。良好なコンディションの中古車を購入して、クルマのある生活を楽しむのももちろんOKだが、ボロボロの古いベース車を手に入れて、自分の手でレストアするのも、格別の面白さを体験できるに違いない。完成した愛車を駆ってオートクロスにのめりこんだオーナーの、何ともうらやましい旧車生活を紹介しよう。

パーツや工具が整然と置かれ、こぢんまりとしたキャンベルさんのガレージなど【写真5枚】

●2年をかけてレストア

 アメリカで「ダットサン・ロードスター」の愛称で親しまれるダットサン・フェアレディ。優雅な名を持つこのクルマは、レースに出場することをその運命として生まれてきたに違いない。

 オートモービルという乗り物が誕生してすぐ、競技を始めた人たちがいた。その発端は19世紀終わりのフランスとされる。以来2度の世界大戦を通じて、人や物資の移動手段としての自動車の開発は、各国の軍事技術の一環となった。ヨーロッパの国々では技術力誇示を通じた国威発揚のために、国同士が競う自動車レースに勝つことが、国策の一部にさえなったのであった。

 日本での自動車競技はヨーロッパのレースの影響を受ける形で始まったが、島国のせいで幸か不幸か競い合う隣国に恵まれず、日本国内でのみ発展を遂げた。同様にアメリカも、その広大な国土のために競争相手国に恵まれることなく、自動車競技は独自の発展を見せた。

 そんなアメリカの、自動車趣味の延長で参戦するチームが多かった小排気量カテゴリーだったが、英国車の独壇場だったそのレースシーンに彗星のごとく登場したクルマがあった。それが、我らが日本製の生粋のスポーツカー、ダットサン・フェアレディだった。

 当時のサーキットでの活躍に思いを馳せながら、今もダットサンに心を熱くする人はアメリカにも多い。アメリカ西海岸、カリフォルニアワインの産地の中心地であるナパ市に住むウィル・キャンベルさんも、そんな1人だ。

 ダットサン・ロードスターを手足のように操るキャンベルさんは、運転免許を取ったのが25歳の時だと言うから、クルマ人生のスタートは遅かった。

 学生時代は自転車競技に夢中だったキャンベルさんの人生において、もう1つの乗り物が出現したのは、1人の友人の訪問がきっかけだった。友達が乗ってきたクルマは、ダットサン・ロードスター。その小さなクルマになぜか心を引かれたキャンベルさんは、急速にクルマの魅力に取り付かれ始めた。

 翌2001年のある日の帰宅途中、通学路にあった家の前にロードスターが止めてあるのに気がついた。それは、フロントがつぶれていて、そのうえ5年間も雨にさらされ、内装もぐちゃぐちゃの状態。ブレーキも完全に錆びついていた。それでも、めざとく見つけた競技用アルミオイルパンには結構な価値があると見抜いたキャンベルさんは、交渉の末、この車両を現状のまま安く手に入れることに成功した。

 大学併設の職業訓練授業でクルマの板金と塗装を習い始めたキャンベルさんは、自分のロードスターを教材にして修理を進め、学期末ぎりぎりになってついに塗装ができる段階にまでたどり着いた。ところがなんと、いよいよ全塗装に取りかかろうというまさにその日、買っておいた塗料が紛失していたのだ。クルマ1台分の塗料を買い直すのは、学生には高すぎる買い物だった。

 下塗りだけの車体を学校から持ち帰り、レストア作業を続けた結果、ようやく走行可能な状態までになった。すでに購入からほぼ2年。しかしキャンベルさんにはまだ運転免許がなかった。友人に運転を頼んで、ロードスターのショーに初めて参加。その時の新品タイヤは友人のカンパで購入したそうだ。

 2003年7月になって免許を取得。こうしてロードスターとともに晴れて公道デビューの日を迎えたキャンベルさんは、その2週間後には一人でイベントへ出発した。開催地のマウントシャスタまでの距離はなんと片道800km。

「自分で作ったクルマがきちんと走るかどうか、おっかなびっくりですよ。実地試験のような気分でした」

 と振り返ったキャンベルさんは、いきなりそこで恐怖の体験に遭遇する。

 高速を降りて、山道を気持ちよく走っていたところへ、コーナーが迫った。曲率の高いコーナーの奥を見通すことができず、切り込んだハンドルに追随できなかったテールが流れ、路肩の砂利の上でスピン。クルマはその勢いのまま、崖っぷちのわずかな土盛りに向き合って、ギリギリで止まった。

「あの山道でのスピンでは死にかけましたけどね。おかげで運転初心者のうちに『クルマの言うことを尊重すること』を身をもって学んだんです」

 と回想したキャンベルさん。その日の午後にはイベント会場で成り行きのままにオートクロス(ジムカーナ)に挑戦。ここからキャンベルさんとロードスターの競技生活がスタートした。

フランク・モニズに捧げる「14」など【写真5枚】



Vol.2、Vol.3に続く

初出:ノスタルジックヒーロー 2014年4月号 Vol.162(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

ダットサン・ロードスター(全3記事)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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