510での新たな挑戦はBMWやアルファロメオを従える結果に! そして鳥人間コンテストにも出場 |チャレンジし続ける「サムライ」魂  Vol.4|ピート・ブロック インタビュー

3台のアルファロメオ・ジュリアクーペ、さらには数台のBMWを従えてコーナーを駆け抜けるジョン・モートンの510。トランザム2.5シリーズ、ミッドオハイオでのレースシーン。ほんの一瞬でも気を抜けば、一気に後続の8台に抜かれてしまう過酷な状況の中、スタートからギリギリの戦いを強いられる。しかし、BREと510は、高価なアルファロメオやBMWを抑え、同シリーズで1971年、1972年と、2年連続チャンピオンに輝いた。

       
【チャレンジし続ける「サムライ」魂/ピート・ブロック インタビュー  Vol.4】

510で新たな挑戦へ

 1971年、BREは240ZでのCプロダクションクラス参戦と同時に、510でのトランザムシリーズ参戦もスタートさせる。普通に考えれば、成功を収めたZに変えて、510の販売促進考えた日産側からのオーダーで、プロジェクトがスタートしたように思われるのだが、事実は違ったようだ。

 「510での参戦は、私が提案したのです。そのころすでにZは、納車まで半年ほど待たなければいけないほどの人気車となっていましたから、これ以上のプロモーション活動は意味がないと考えたからです。実は、この510のプロジェクトに片山さんは最初反対だったのです。日本で510(ブルーバード)がデビューしたのは1969年。1971年の時点ではすでに発表から3年が経過していたということもあったからだと思います。でも私は、アルファロメオの3分の1の値段で買えるコンパクトなスポーツセダンでレースに参加し、勝つことができれば、きっとマーケティング的にも成功につながると考えていました。とてもクリーンなデザインで、何をやれば速くすることができるのかもわかっていたので、勝つ自信もありました。例えばエンジンは、L24型の6気筒を4気筒化したものですから、チューニングについてはまったく問題はありませんでした。サスペンションについても、素性の良い4輪独立サスペンションを備えていましたので、問題はありませんでした。唯一、ボディについては2ドアクーペのボディが北米にもあればよかったと思います。おそらく、この2ドアクーペが北米に入っていれば、一番の人気モデルになっていたことでしょう」


510をトランザム2.5シリーズへ投入することを決定した、北米日産・社長の片山さんと、ドライバーのジョン・モートン、後方で記者と話すピート・ブロックが1枚の写真に収まっている。510参戦初年度となる1971年上旬、オンタリオスピードウェイで撮影された。

レースを離れ新たな挑戦へ

 510での参戦は、1971年からスタートし、翌1972年にかけて2年連続クラスチャンピオンに輝く。1971年には240Zでもクラスチャンピオンを獲得し、2つのタイトルを手中に収める。さらに言えば、1968年からスタートした日産でのレース活動は、5年連続チャンピオン獲得という輝かしいものとなった。



1971年からトランザム2.5シリーズへの参戦を開始したBRE。写真は、1972年リバーサイドレースウェイで撮影されたもので、雑誌の撮影に合わせてポーズを取るピート・ブロック(左の人物)と、ジョン・モートン(右の人物)、マイク・ドーンズ(中央の人物)。マシンは変わってもカラーリングとチンスポイラーは不変だ。


 しかし、1972年を最後に突然レース活動に終止符が打たれることになる。
「北米日産のトップの交代、つまり片山さんが日本に戻ることになったために態勢が180度変わってしまい、レース活動は一気に縮小されることになってしまったのです」

 余談だが、BREがレースから撤退した後に、ボブ・シャープがZでのレース活動を担い、さまざまなレースシーンで活躍をしたため、北米での日産/Z人気が衰えることはなかった。

 日産との関係が終了した後、ほどなくして、BREはもちろん、ピート・ブロック自身もレース業界から一切離れてしまう。日産との契約が終了したとはいえ、これだけの成功を収めてきたのだから、他の会社やチームなどからのオファーや、レース業界への未練はなかったのだろうか?  

 「まったくありませんでした。それよりも、私はレース業界とはまったく別の世界へチャレンジしてみたくなったのです。私はエアロダイナミクスの知識を生かしながらグライダーのビジネスを始めました。新しいビジネスを起こすにはお金もかかりますし、大きな困難が伴いますから、趣味としてのクルマ、モディファイやチューニングなども完全に断ち切って新たな『チャレンジ』へと向かったのです。
ところで、このグライダーのビジネスは、急速な成功を収め世界一のハンググライダー会社となることができました。誰よりも高く長く飛ぶことができたので、顧客が殺到したからです。成功を収めた後にこのグライダーの会社は売却しましたが、今でも『UP』という会社(ブランド)は、グライダー界でも有名だと思いますよ。
ちなみに私は、このグライダーのビジネスをしている80年代前半に、日本の琵琶湖で行われる『鳥人間コンテスト』に出場したことがあるんです。優勝した大学の研究室チームとはわずか6mの差で惜しくも優勝を逃しましたが、とてもよい記録を出すことができました」

 90年代以降は、アートセンターカレッジでカーデザインに関しての講師をしながら、執筆活動を行ってきたが、これらの活動は2012年をもって引退した。今は、ラスベガスにBREショップを構え、ハイエンドカスタマーに向けたカートレーラーの製作を行う傍ら、デイトナ・クーペや240Z、510のレストアやチューニングを行っているが、先頃東京モーターショーで公開されたコンセプトカー『IDxニスモ』にもかかわるなど、常にあらたなチャレンジを続けている。



 2013年11月、東京お台場で開催された、第43回東京モーターショーの日産ブースで発表されたコンセプトカー「IDxニスモ」。510ブルーバードや、ハコスカ、CSP311シルビアなどのイメージを反映させた、コンパクトなFRの2ドアセダンであるIDxを、ニスモがスポーティーにアレンジしたのがIDxニスモだ。

 BREのチンスポイラーを彷彿させるフロントスポイラーや、斜めに走るサイドの2本ストライプなど、そこかしこにBREマシンをモチーフとしたディティールがちりばめられている。ピート・ブロック本人も来日し、初日のプレスデイに合わせて会場に姿を見せた。9月にラスベガスで本誌インタビューを行った取材班は、意外に早い再会となった。

初出:ノスタルジックヒーロー 2014年2月号 Vol.161(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


1971年からトランザム2.5シリーズへの参戦を開始したBREなど【写真9枚】

チャレンジし続ける「サムライ」魂/ピート・ブロック インタビュー(全4記事)

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text : NOSTALGIC HERO / 編集部 photo : AKIO HIRANO / 平野 陽

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